馬耳東風

 
 今年フランスで行われた大学入学資格試験(バカロレア)の哲学の試験に「対話は真理への道か」という問題が出されたという.フランスの高校では哲学は必修科目なので,バカロレアでも哲学は必須科目である.しかもこの論文作成には4時間の時間が与えられる.正解があるわけではないが,なるほどと思わせる文章を書くにはそれだけの論理構成が必要となる.そして合格点をもらわなければ大学に進むことはできない.受験生諸君は必死になって取り組んだに違いない.
 世界中あらゆる所でいろいろなレベルの対話が行われており,特にフランスでは教育改革についての当局と教職員労働組合との対話が進行中であったので,問題としては取り組みやすい問題であったかもしれない.しかし,イスラエルとパレスチナ間の対話,国連の場におけるアメリカとフランスの対話などを見ていると,対話は真理への道かと問われてどう答えるべきか結構頭を悩ませる点もあったに違いない.
 もしわが国で,政府与党と野党との対話について同様な問題が出されたら,どう答えるのが模範解答になるであろうか.これは難しい.
 わが国の高校では哲学は必須ではない.したがって,大学入学試験でもほとんどの受験生は哲学のテの字にも悩まされることはない.これでいいのだろうか.日本でも旧制高校では必須であったかどうかは知らぬが,デカルト・カント・ショーペンハウエルを知っていることに誇りを持っていたらしいことが伺える.デカンショ節のデカンショはその略で,だから旧制高校の愛唱歌だったのだと聞いたことさえある.
 最高学府としての大学が一般化した現状では昔のようなエリート意識を与えることは好ましくないとの説もある.しかし,そもそも哲学の素養とエリート意識を同一視することに問題はないか.
 一方,学位としての博士号は横文字ではPh. Dと書く.これはドクターオブフィロソフィー,つまり哲学博士の意で博士号を持つ人こそ哲学の素養がなければならないということかも知れない.
 しかし,いずれにしろ人間形成に哲学の素養が不必要だとは言えないと思う.特に獣医師の場合,普通の大学よりも修業年限は長い.その分,信頼,尊敬される職業人であって欲しいから,大学教養課程において倫理を含む哲学も必須にしてはどんなものだろう.

(子)