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平山紀夫†(農林水産省動物医薬品検査所長) |
![]() 動物用医薬品は,動物の疾病の診断,治療又は予防に使用されるもので,現在,約4,000品目が承認されており,獣医療の提供に不可欠の資材となっている.当然の事ながら,動物用医薬品は,安全・有効かつ高品質でなければならず,これらのことを担保するために,人体用医薬品と同じく薬事法によって厳しく規制されている. たとえば,新規の動物用医薬品の承認を得るためには,物理化学的性質,安定性,毒性,薬理作用,吸収排泄,臨床,残留性等のデータを添付して,その安全性と有効性を証明しなければならない.また,一旦承認されても,実際に野外で使用して安全性と有効性に問題がないことを証明しなければならない「再審査」という関門が待っている.さらに,最新の科学技術のレベルで絶えず見直す「再評価」という制度もある. このように厳しく規制されている動物用医薬品であっても,最近の世相を反映して,さらなる安全性に関する指摘を受けている.一つは,動物に抗菌薬を使用することにより薬剤耐性菌が選択され,その耐性菌が食品等を介して人に伝播し,人の細菌性感染症の治療を困難にするという公衆衛生上のリスクである.二つ目は,食用動物に使用された動物用医薬品が残留するという食品衛生上のリスクである.三つ目は,動物に投与された動物用医薬品が糞便等から排泄されて,環境の生物に影響を及ぼすという環境保全上のリスクである. これらは,動物用医薬品を使用した後に生じる安全性に係るリスクであり,その使用者である獣医師にとって避けて通れない課題であるので,その現状と対策について考えてみたい. 2.動物用抗菌薬による耐性菌問題 抗菌薬は,動物分野に使用されるようになって半世紀が経ち,この間,畜水産物の安定的生産に大きく貢献してきた.一方,抗菌剤を使用することによって当該抗菌薬に耐性を示す細菌が出現し,新規抗菌薬の開発と耐性菌の出現とのいたちごっこが始まった.1969年英国議会は,「スワンレポート」で家畜への抗菌薬の使用を制限すべきと発表した.これを受け日本では,疾病の治療に用いる抗菌薬と家畜の成長促進に用いる飼料添加物を区別し,前者はこれまでと同様に「薬事法」で,後者は「飼料の安全性の確保及び品質の改善に関する法律」で規制することとした.さらに,疾病の治療に用いる抗菌薬は,対象疾病と対象菌種を限定し,かつ投与期間を1週間以内とする制限を設け,極力耐性菌の出現を押さえる方策を採った. また,人の医療上重要なニューキノロン剤等については,人体用医薬品としての再審査が終了するまで(6〜10年間)動物用医薬品としての承認申請を受け付けないこととし,医療に及ぼす薬剤耐性菌への対策を取ってきた. しかし,最近ふたたび,欧米を中心に動物での抗菌薬の使用が問題視されてきた.1997年世界保健機関(WHO)は,人体用の抗菌剤と同系統であって家畜の成長促進を目的とする抗菌性物質については,人の健康へのリスク評価を行わずに使用を継続することは好ましくないと勧告し,翌年には(1)薬剤耐性菌の発現動向のモニタリング,(2)薬剤耐性菌の人への移行等に関するリスクアセスメント及び(3)家畜への抗菌剤の慎重な使用(プルーデントユース)を勧告した. このWHOの勧告に対しても日本は,ただちに対応した.すなわち,1999年に家畜における薬剤耐性菌の全国レベルのモニタリングを開始し,2000年には,各都道府県の家畜保健衛生所がモニタリングを実施する体制を確立し,充実強化を図った.家畜衛生分野におけるこのモニタリング体制は,各種国際会議や日本を訪れる専門家からも高い評価を得ている.今後行われる薬剤耐性菌の人への移行等に関するリスクアセスメントにおいて,これらモニタリングの成績が貴重なデータとして活用されるものと期待される. 以上のように抗菌薬の薬事法上の各種規制,使用後の薬剤耐性菌の発現動向のモニタリング等国レベルでの対策の強化が行われたので,使用段階での慎重使用が普及すれば,薬剤耐性菌のリスクはかなり低くなるものと思われる. これまで国は,「適正使用」を推進してきたが,適正使用とは,「用法・用量を守り,使用上の注意をよく読んで正しく使う」ことで,最近ではテレビのコマーシャルでも流されている.WHOがいう「慎重使用」とは,適正な使用により最大の治療効果を上げ,薬剤耐性菌の出現を最小に押さえることである.同様にアメリカでは「賢明な使用」という用語も使われている.いずれの用語も,高度な知識と技術を持つ獣医師に相応しい用語と感心する次第である. 多剤耐性サルモネラが分離された養豚場の事例を紹介し,慎重使用の持つ意味とその重要性を強調したい.当該農場では,使用した抗菌薬の効果がないので,次々と抗菌薬を変え,ついには2種類の抗菌薬と消毒薬を混合したものを噴霧する処置をとっていた.この農場へ獣医師がどのように関与したかは不明であるが,最初の抗菌薬が無効であった時点で,原因菌の分離と薬剤感受性試験を行い,適切な抗菌薬を選択し,使用者に正しい使用法を指示するのが獣医師の責務である. 3.畜水産物における動物用医薬品の残留 動物用医薬品を投与された食用動物の体内には,一定期間その動物用医薬品が残留している.そこで,安全な畜水産物を供給するため,使用してから動物用医薬品が体内から消失するまでの期間,家畜のと殺や魚の水揚げが禁止されている.この期間を使用禁止期間というが,使用者が守らなかった場合,罰則がかかる.これまで食品衛生法との関係でおもに抗菌薬について使用禁止期間が決められていた. 使用禁止期間は,おもに動物用医薬品の承認申請時の残留性に関する試験データから決められている.この残留試験では,動物用医薬品を投与してから経時的に各臓器等をサンプリングし,そこに含まれる医薬品成分を測定する.測定方法は,その時点で最も感度のよい方法が採用され,検出限界以下をゼロと判断している.このことが,「いわゆるゼロ残留」と称せられる理由でもある.日本では,目安として50ppb以下の検出限界を求めてきた.しかし,測定技術が進歩し,検出感度が上がれば,ゼロでなくなるという矛盾が生じる.このため欧米では,実験動物等を用いた毒性試験の科学的データから人が毎日摂取しても影響がでない量(一日摂取許容量:ADI)を推定し,このADIを基にして,動物に残留しても許容される最高値,すなわち残留許容基準値(MRL)を決めている.日本でも1995年からこの概念を取り入れ,厚生労働省は,これまで26の動物用医薬品のMRLを決定してきた.MRLが決定された動物用医薬品については,農林水産省がただちに使用禁止期間の見直しを行い,動物用医薬品の残留防止対策としている.食品の安全性が求められている現在,厚生労働省では,より多くの動物用医薬品についてMRLを設定することとしている. このように動物用医薬品として承認され,使用禁止期間も定められているので,適正に使用すれば,畜水産物中に動物用医薬品が残留することがないはずである.しかし,厚生労働省が毎年実施している畜水産食品の残留物質モニタリング検査では動物用医薬品の残留事例が報告されている.これらの事例では,使用禁止期間の失念や獣医師からの指示の不徹底等が疑われている. 一方,現行の薬事法では,獣医師が自分の診療のためや個人が自分の所有する動物に使用するために,外国から日本で承認されていない医薬品を輸入することは,輸入確認を受ければ可能である.しかし,これらの未承認医薬品が食用動物に使用された場合,誰が使用禁止期間を保証するのかという問題が指摘されている.このため,現在,動物用医薬品を個人が製造・輸入することを禁止し,食用動物へ未承認医薬品を使用することも禁止する内容の薬事法改正案が国会で審議されている.この改正案が国会を通過すれば,より厳しい法規制が適用されることになる一方,獣医師による診療目的での輸入や使用については,現行と同様に例外扱いとすることが予定されていることから,動物用医薬品を自ら使用し,あるいはその使用を指示する獣医師の責務は,ますます重くなると言える. 4.動物用医薬品の環境毒性と環境影響評価 イベルメクチンは,内部及び外部寄生虫の特効薬として広く使用されている動物用医薬品である.牛に投与されたイベルメクチンは,体内で一部代謝されるが,大部分はそのまま糞中に排泄される.1987年,糞中に排泄されたイベルメクチンが,糞分解性昆虫を殺し,その結果,糞が長期にわたって分解されないという科学論文が発表された.この論文が,動物用医薬品も他の化学物質と同様に環境生物に毒性を示し,環境影響評価が必要であると認識させる契機となった. 日本の薬事法では人体用医薬品は,有効性,安全性及び保健衛生上問題がないかを審査された後に承認され,動物用医薬品は,これら以外に残留性についても審査されるが,環境に対する毒性や影響について審査する規定はない.しかしながら,直接環境に散布されたり,環境生物に強い作用を及ぼすと想定される成分については,可能な範囲でのデータの提出を求めている.たとえば水産用医薬品では,水中での分解性のデータ,殺虫剤や消毒剤では,その用法等から水生動物や植物を用いた毒性試験のデータ,抗菌薬では,外界での分解性や土壌への吸着性のデータ等が提出されている. 現在,動物用医薬品の環境影響評価を体系的に行うためのガイドライン作りが,動物用医薬品の承認審査資料の調和に関する国際協力(VICH)の場で進められている.本ガイドラインは,VICHが発足した1996年から検討されており,完成間近となっている.農薬や化学物質についても環境影響評価が求められているが,日本ではそのための体系的なガイドラインはまだ作成されておらず,動物用医薬品が先陣を切ることとなる. 今後,獣医師は,投与した動物用医薬品が環境中へどのように排泄され,環境生物等にどのような影響を及ぼすかについて認識し,使用者へ説明する役割が期待される. 5.お わ り に 医薬品は,科学の粋の凝集体であり,言葉を換えれば多様な情報の集合体とも言える.また,本質的に不安定なものであり,安全に使用するためには相当のエネルギーを要するものである.人命に関わることもあり人体用医薬品に関する情報は,きわめて多く公開されている.残念ながら人体用医薬品と比較すると動物用医薬品に関する情報は,少ないと言わざるを得ない.獣医師が,慎重かつ適正に動物用医薬品を使用するためには,これらの情報が不可欠である.したがって,今後,動物用医薬品メーカーからの積極的なデータ開陳が必要であり,国もその環境整備に努める必要がある.今回話題にした動物用医薬品の安全性については,動物医薬品検査所にかなりの情報が蓄積されており,その概要をホームページ(http://www.nval.go.jp/)上で公開しているので,活用いただき,慎重かつ適正な動物用医薬品の使用に資していただきたい. |
† 連絡責任者: (現所属) |
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