馬耳東風

 
 馬耳東風ご愛読の方から激励やご指摘を受けることがある.熱心な方は筆者がどこの誰兵衛であるかわかるらしい.それはともかく,第55巻第10号の墓談義の中で,ネアンデルタール人が埋葬を行うことにより滅亡したという解釈は理解できないというご指摘をいただいた.スペースがなく説明不足だったと思う.ネアンデルタール人は埋葬の際花などを供えた形跡がある.それは人骨とともに付近には存在し得ない花粉等の化石が発見されているからだ.すなわち連中は遺体に花を供える心優しい人種だったのだ.他種族との闘争に明け暮れている時,このような遺体埋葬や花を供えるなどの心優しい行動が,戦いに不利であったに違いないというのが私の解釈である.もちろんそれだけでは種族滅亡の理由にはなりにくいから学問的にも話題になったことはないようだ.私の勝手な解釈であることを申し添えておきたい.
 ところで最近のテレビで,エジプト学の世界的権威,早稲田大学の吉村教授が,ピラミッドは王の墓ではないと言明されてた.これは十分に納得できる説なので,前回記述の一部を訂正しなければならないと思う.しかし,吉村教授が指摘する大きな理由の一つに一人の王がいくつものピラミッドを造っているからというのがあった.これには若干の疑問が残る.確かに遺体は一つなので,墓は一つで十分だ.しかし一人の人の墓がたった一つとは限らない.
 東京大手町のビルの一角に奇妙な空き地がある.平将門の首塚(墓)だ.ここにビル等の建物を建てると必ず何らかの事故が起こるとして結局塚として残された.近くの神田明神は将門の身体を祀った神社とされている.いっぽう,埼玉県皆野町の円福寺には平親王将門之墓がある.
 新田義貞の戦死の地は現在の福井市灯明寺畷であるが墓は福井県丸岡町の時宗称念寺にある.そして京都嵯峨往生院の入口には彼の首塚がある.さらに義貞出身地の群馬県には首塚が3カ所もあると聞いている.一人の人の墓が一カ所とは限らないのだ.お釈迦様はもっとすごい.仏舎利はお釈迦様の骨であるから,仏舎利塔を墓と見なせば,彼の墓は日本だけでも幾つあるかわからない.
 北アフリカのチュニジアで開催された第27回WVCに出席した際,ローマ帝国に滅ぼされたカルタゴの本来の面影を残す数少ない遺跡の一つであるポエニ人の墓地トフェを見物した.
 そこには,とにかく墓しかなく,当時のポエニ人は長男を神に捧げる風習があり,その子供たちのものと聞いた.この風習がローマ人に滅ぼされた一因ではなかったろうか.手を合わさざるを得なかった.

(子)