資 料

世界獣医学大会に出席して

五十嵐幸男(日本獣医師会 会長),金川 弘司(日本獣医師会 副会長)

|.は じ め に
3年ごとに開催される世界獣医学協会(World Veterinary Association, WVA)の第27回年次大会・世界獣医学大会(World Veterinary Congress, WVC)が“Tunis WVC 2002”と題して,アフリカのチュニジアの首都チュニス市で,平成14年(2002)9月24〜29日の6日間にわたって開催され,日本代表として参加したので,その概要を報告する.
チュニジアはアフリカの最北端,地中海を挟んでイタリアの対岸に位置し,東はリビアに,西はアルジェリアに囲まれ,古代より地中海の交易の要所として栄えてきた.チュニジアの歴史は非常に古く,紀元前9世紀のカルタゴ建国に始まり,やがてはローマ帝国と地中海の覇権を争うまでになり,数回にわたる戦争に敗北し,7〜8世紀頃にはアラブ(イスラム)王朝との攻防をくり返しながら,16世紀にはオスマントルコの支配を経て,明治14年(1881)にフランス保護領となり,今から47年前の昭和31年(1956)に独立をした.面積は日本の約半分の約16.5万平方km,人口は約950万人で,アラブ社会唯一の穏健派モスリムといわれ,イスラム教が主体であるが,一部にキリスト教とユダヤ教が共存している.古代よりフェニキア人,東西ローマ帝国,歴代のアラブ王朝,トルコ,フランスなどさまざまな民族・文明の支配を受け,その影響はしばしばモザイクにたとえられる多様な文化として受け継がれ,そのためにチュニジア人は開放的で異文化への関心が強く,先取りの気性に富んでいるといわれている.
首都のチュニス市は,2つの異なる顔を持っており,数世紀にわたるイスラムのただずまいをとどめ,世界遺産にも登録をされているメディナ(旧市街)と,フランス領時代に建設されたヨーロッパ風の官公庁やオフィス街の新市街である.大会の合間に,メディナを覗いてみたが,狭い小路が迷路のように連なり,貴金属・皮製品・絨毯・香水・食料品などの店が並んで,活気に溢れていた.また,市内には世界最大のモザイクコレクションを誇るバルドー博物館があり,世界遺産でもあるカルタゴ遺跡など,各地で出土したローマ・ビザンチンのモザイクが一堂に陳列されていた.
WVCの大会会場は,“The KRAM Exhibitions Park and International Trade Centre”(KRAM展示公園・国際トレードセンター)で,市の中心地より海岸寄りに車で約20分ぐらいの所であった.KRAMは大きな展示場で,ここで開会式が行われ,会期中は各商社の展示場となり,最終日の晩餐会も行われた.中央の展示会場を取り囲んで,多くの部屋があり,そこで学会発表やポスターセッションが行われた.市内のホテルからKRAMまではタクシーを利用したが,比較的安く10TD(チュニジアディナール,約850円)ほどであった.
 今回のWVCには世界120カ国から,約3,000人の獣医師が参加し,平成10年(1998)にノーベル賞(医学生理学賞)を受賞したDr. F. Murad(アメリカ生まれではあるが,アラビア系モスレムの移民)をはじめ,120人の招待講演と一般講演およびポスターセッションを合わせて1,100題の発表が行われた.展示に参加した商社は78社であったが,日本商社の参加はなかった.
 
||.登録について
 登録窓口は地域・国別の区分けもなく,1つの窓口に2台のパソコンが置かれているのみで,受付に列を作る訳でもなしに,20〜30人が集まって,大混乱の様子であった.その大集団の後ろに並んでいても,何時になったら順番が廻ってくるのか解らず,初日の登録は諦めて,2日目にようやく登録をすることができた.われわれのような外国人は事前登録をしていたにも拘わらず,手続がスムーズに進行しなかった.自国や近隣諸国からの参加者で,当日登録予定者のほとんどは登録を諦めて,名札なしで会場に入らざるを得なくなり,現地チュニジア獣医師会会長のDr. F. Kechridによると,500人ぐらいしか正式に登録されておらず,千人以上が登録をせずに,登録料も払わずに,学会参加をしたらしいとのことで,大赤字であると嘆いていた.
 
|||.開  会  式
 第27回WVCの開会式は展示場KRAMで,9月26日午前10時から行われ,チュニジア農務大臣Mr. M. Ghannoushiの挨拶で始まり,アラブ諸国として最初にWVCを誘致できたことに対する喜びとチュニジアにおける獣医・農業・畜産界の発展に対する期待が述べられた.次いで,今回の大会長を勤めたチュニジア獣医師会会長のDr. F. Kechridが歓迎の辞を述べ,最後にWVA会長のDr. J. Edwardsがチュニジアの努力に対して謝辞を述べながら,世界はボーダレス時代に突入しており,感染症や生物テロなど今ほど国際的な危機管理の大切な時はないとして,獣医学の果たす役割の重要性を強調した.
 
チュニスの世界獣医学大会(WVC)会場(KRAM)にて
五十嵐会長(中央)と金川副会長(左)
平成14年(2002)9月25日
 
|V.歓迎パーティー
 9月25日(水)午後7時に学会会場(KRAM)からバスで30分以上離れたゴルフ場が歓迎パーティー会場で,製薬会社メリアル(Merial)がスポンサーとなって,ゴルフ場の所々にテントを張り,飲み物,焼肉(羊の丸焼き),おつまみなどが準備されていた.またメインのテント前では楽団の音楽演奏があり,本来であれば参加者のダンスでも行われるはずであったが,残念なことに,開会30分ほどして雨が降りだし,野外パーティーは惨めなものとなってしまった.したがって,主催者の挨拶も乾杯も,何のスピーチもなしにバラバラと解散する事になってしまった.
 
V.WVA総会
 WVAの総会は9月28日(土)午前9時から,地中海に面したホテルに会場を移して,各国の獣医師会会長および代表者,約150人が出席をして行われた.この総会の主な議題は下記のとおりであった.
  1.前回議事録の確認:
   3年前の平成11年(1999)にフランスのリヨン市で行われた第26回WVA総会議事録の確認が行われた.
  2.報告事項:
   会長・評議員および各種委員会からの報告が行われた.その中で,危機管理体制に関する対応として,平成12年(2000)11月に台湾で行われたアジア獣医師連合大会(FAVA)の災害時の危機管理特別セミナーにおいて,有珠山噴火に伴う動物救護活動が,金川副会長により報告された旨が紹介された.
  3.WVA規約に関すること:
(1) 負担金(会費);
大きな問題点は,WVAの各国の負担金(会費)であった.各国の負担金はそれぞれの国の登録されている獣医師数に応じて,1人当たりUS$1.83を乗じて算出する方法が採られることになっている.わが国の獣医師数は28,000人として計算をするとUS$51,240($1.00=¥120として換算をすると約615万円)という高額になるが,上限と下限が設定されて,上限がUS$24,000(288万円),下限がUS$100(12,000円)と決められている.アメリカは獣医師数が75,000人で上限のUS$24,000であるが,ブラジル(30,292人)と日本(28,745人)は獣医師数がアメリカの約半数なのに,アメリカと同じ上限を払わなければならないのは不公平であり,その半額のUS$12,000(144万円)にすべきであると主張し,ブラジルとフランスもこの主張に賛同をしてくれた.休憩時間に,ロビーで会ったアメリカおよびオーストラリア代表も,私たちの考えに支持を表明した.現在の算定方式においては,さらに毎年インフレーション率5%ずつ負担金を値上げするという.私たちは,日本は目下の所インフレーションではなしにデフレーションで諸物価は下降気味であり,この案にも反対の意志表示をした.また世界銀行のデーターに基づいて,途上国を対象に国民総生産(GNP)がUS$500以下の国は80%,US$1,500以下では40%およびUS$3,500以下では20%のデスカウントを行うことになっている.現在80%のデスカウントを受けている国は,エチオピア,ザンビアなど11カ国で,平均負担金はUS$203(約¥24,000)である.40%デスカウント国はカメルーン,セネガルなど6カ国で,平均負担金はUS$997(約12万円)および20%デスカウント国は台湾,トルコなど13カ国で,平均負担金はUS$1,057(約13万円)であり,20〜80%のデスカウントを受けている国は30カ国に及んでいる.さらに,獣医師数が10,000人を超えているフランス,スペインおよびイギリスの内,負担金が全額振り込まれているのはスペインのみである.この他,アルゼンチン,ロシア,ポーランド,ウクライナなど獣医師数の比較的多い国々,13カ国は負担金(US$79,650,約960万円)が2年間未払いになっている.
 この負担金と絡んでの問題点は,WVAの活動である.WVAの活動に関しては,[1]獣医学教育と開発,[2]動物の健康と福祉,[3]公衆衛生および[4]災害と危機管理に関する委員会などが設けられており,各評議員が分担してそれぞれの委員になっているが,委員会の活動は停滞しているといわざるを得ない.実際には,19の国際的な協会がAssociate Member(国際獣医疫学学会・世界獣医学教育協会など10学・協会が基礎部門,アメリカ産業動物学会・世界牛病学会など7学・協会が産業動物部門,世界馬学会が伴侶動物部門および世界獣医食品衛生協会が食品衛生・公衆衛生部門と4つの部門)がWVAの準会員になっており,各部門から1人ずつの評議員を選出できることになっている.また,評議員は,負担金を支払うことになっているが,実際には,どの部門からも負担金は支払われていないし,評議員も基礎部門からの1人のみである.
 フランス獣医師会会長Dr. C. Piletは,私たちの発言に続いて新予算に反対の立場から,[1]WVA事務局のWVA会長選出国への設置,[2]今回の新しい予算案(2003〜2005)の旅費と事務局経費の改善の必要性,[3]獣医師数の多い国の過重な負担金の問題を指摘した.
 以上のような状況については,12月3日の理事会に報告したが,その後,五十嵐会長名で,WVA会長はじめ各役員に対して,会費問題の改善と予算の節度ある運用等を書簡でもって要請した.
(2) 役員改選;
役員の改選が行われた.新しい役員を表に示したが,今回会長に選出されたDr. H. Shneiderは平成7年(1995)から現在まで2期にわたってWVA副会長を務めており,前述したようにアフリカ・ナムビア出身であるが,ドイツ留学の経験などを生かして,欧米の支持を得ていた.役員会では強い発言権を有し,途上国優先を強力に打出しており,われわれ日本サイドが提案をしている負担金システムの改善に対しては好意的ではない.対抗馬のDr. F. Kechridは,大きな努力を払って今回の“Tunis WVC 2002”の開催を実現したチュニジア獣医師会会長で,平成7年(1995)WVA横浜大会以来,親日派の副会長であったが,フランス語での所信表明などが影響したのが小差で選挙に敗れた(90:73票).
(3) WVA Bullentinについて;
WVA事業の一つとして,年2回(1月と6月)に“WVA Bulletin”を発行していたが,経費削減のこともあり,今後はBulletinの発行を中止して,電子化(http://www.worldvet.org)することになった.
(4) World Veterinary Day, WVD(世界獣医の日);
獣医師や獣医師会の活動などを一般社会に啓発することを主な目的として,毎年4月の最終日曜日をWVD(世界獣医の日)と定めて,平成12年(2000)よりスタートした.今後数年間にわたって,各国獣医師会が,動物診療施設や食品衛生関連施設などを一般公開したり,マスメデアなどの報道機関への広報活動を継続して,獣医師の職業的社会貢献をPRして欲しい旨要望された.わが国では,岐阜大学が平成13年(2001)以来,「世界獣医の日」に,WVA賛助会員の一つでもあるPfizer製薬(株)名古屋中央研究所と共催で,講演会・学術交流会などを開催しているが,本会は,このような活動を後援することとしている.
(5) 次回開催について;
次回のWVA大会は,イスラエルが名乗りを上げていたが,現在の世界情勢から,反対乃至は危惧する声が出て,急遽,3年後の平成17年(2005)7月にアメリカ・ミネソタ州ミネアポリス市で開催することが決定した.その次は,平成20年(2008)に,カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー市での開催が決まり,アメリカ,カナダの代表からそれぞれスライドやビデオを使用した誘致のためのプレゼンテーションが行れた.
 
V|.お別れ晩餐会
 9月28日,午後7時から開会式の行われた展示会場(KRAM)が晩餐会場に早変わりし,前方には大きな舞台が設けられた.しかし,開催時間は大幅に遅れて9時過ぎから始まり,歌謡・舞踊・曲芸・手品などが続いた.この晩餐会でも,主催者の挨拶も乾杯もなく,プロのエンターテイナーの司会で進行していた.
 
V||.あ と が き
 19世紀の後半に入って,ヨーロッパを中心に牛疫・口蹄疫のような悪性伝染病が大流行し,陸続きのヨーロッパ各国は自分の国だけでは,これらの伝染病を防圧することが困難なことから,国際的な協力体制が必要となり今から140年も前の文久3年(1863)にドイツのハンブルグ市にヨーロッパ10カ国の獣医師の代表が集まって,防疫対策や国際間の輸出入規制などの協議をしたのが,WVAの始まりと言われている.その後,世界的レベルに広げて継続すべきとの考えから,昭和34年(1959)にスペイン・マドリッド市で開催された第16回WVC時にWVAの規約などが定められて,現在の組織が出来上がり,それ以来,長い歴史を経ていろいろな改善が加えられてきた.文久3年(1863)のハンブルグ会議を第1回目のWVCとし,その後2〜6年間隔で開催されてきたが,清仏戦争(1884〜5)・第一次(1914〜8)および第二次世界大戦(1939〜45)での中断や延期があって,今回の“Tunis WVC 2002”は第27回目のWVCである.日本獣医師会は,国際交流の重要性に鑑み,昭和29年(1954)に加盟している.そして,第25回大会は,平成7年(1995)に,アジアで始めて日本獣医師会の主催で“Yokohama WVC 1995”が開催され,開会式およびレセプションには天皇・皇后両陛下のご臨席を頂き,1万人以上の参加者を得て,大盛会・成功を収めた.
 最近のWVAは加盟国が増加すると同時に途上国の参加が多くなり,いろいろな問題点が派生して来た.先ず前述した様に各国の負担金(会費)や役員選出方法などにも途上国優遇があまりにも強く打出され,バランスが欠けつつある様に感じられる.また,WVAの活動も低調に推移している.その主な原因に,本来はボランティア的性格の役員や事務局に負担金の多くが当てられ,事業費(活動費)にはほとんど廻って来ない所に大きな問題があろう.日本獣医師会は,平成7年(1995)の横浜大会以来,継続して負担金の改善などを提言して今日にいたっている.われわれは国際交流の重要性を無視する訳ではない.むしろ,一昨年の口蹄疫,昨年来の牛海綿状脳症(BSE)の発生などを見ても,今後益々国際的協調は不可欠と考えられるが,WVAの組織・構成・その活動などにも多くの改善を要する点ありと考え,それらの解決に向けて,提言をして行きたいと考えている.