資 料

第133・134回日本獣医学会シンポジウム
「動物を用いた獣医学教育」記録( | )

獣医学教育における動物利用のあり方(第134回日本獣医学会)

前島一淑(慶應義塾大学医学部)

|.は じ め に
前島一淑(慶應義塾大学医学部)
高橋和明(日本獣医畜産大学獣医畜産学部)
鈴木義孝(岐阜大学農学部)
 現在の欧米諸国ではあまり珍しくない現象であるが,研究や教育のための動物利用に疑問を抱く学生がわが国の獣医大学にも現れてきている.家畜利用は別としても,動物愛護の最前線に位置付けられるべき獣医師教育や獣医学研究において,生きた動物を利用することの是非を真剣に悩んでいる学生は少なくない.この問題は,日本獣医師会ではかなり前から検討されてきたが,動物を用いる獣医学教育について日本獣医学会が正式に取り上げることはなかった.
 一昨年の東京農工大の解剖学実習に対する動物愛議団体からの抗議がひとつの契機となって,第133回(平成14年3月,日獣大)および第134回(平成14年9月,岐阜大)獣医学会において,獣医学教育における動物利用の是非に関する連続したシンポジウムが開催された.
 通常は,獣医学教育における動物利用に関する一般的な議論(総論)を受けて具体的な対応策の議論(各論)に入る流れであるが,この問題に関する獣医学会員の理解は必ずしも十分に深まっているとは思われなかったので,動物を用いない教育の可能性(各論)を先に扱った.なお,試験研究や生物製剤製造のみならず専門教育に用いられる動物も法的に実験動物である.今回のシンポジウムでは,獣医学教育における“実験動物”の利用のあり方について討議した.
 2つのシンポジウムは予想以上に関係者の関心を集め,各演者の話題提供もフロアからの発言もきわめて積極的かつ建設的であった.この議論が獣医学会の中に止まっていることは残念で,多くの関係者の目に触れるような資料として残すことした.
 ただし,獣医学会シンポジウムの順序とは掲載順序を逆にし.第134回記録(総論)を先に第133回記録(各論)を後とした.誌面の制約で記述は簡潔であるが,各演者(演者所属は当時のもの)の発言趣旨は理解頂けると思う.また,一部の演題については,当日のシンポジウムと異なる標題に改められている.

||.動物愛護と獣医師
竹内 啓(東京大学)
 世界の獣医界が動物愛護問題から長らく腰が引けていた最大の問題は,動物愛護あるいは動物福祉の概念の行き着く先に動物権利の主張があるため,動物を利用する獣医業の広い分野が崩壊するのではないかとする過度の危惧があったためと云われている.しかし冷静に考えてみれば,社会に起こった新しい倫理の主流は,ごく一部の動物に対する個人的哲学観は別として,決して動物の利用を否定するものではない.むしろ動物の痛みの制御法をもっともよく知る専門家として動物愛護を具体的に推進し,リーダーシップをとることによって.未来の獣医業の拡大と社会的評価の向上に繋がるとの理解が1990年代になって獣医界でも次第に拡がり始めた.たとえば,1999年に改正された動物愛護管理法(旧:動管法)ならびにその後告示された家庭動物等の飼養および保管に関する基準では,動物愛護における獣医師の指導性への期待が明記されている.
 この具体的実現に際しては,たとえば産業動物の動物愛護を考慮する場合においては,現実的経済性をも重視しつつ,苦痛をできるだけ除きながら本来の生活様式に近い快適な飼育様式を確立することが望ましいが,これこそ21世紀の獣医学に課せられた大きな挑戦であろう.
 コンパニオンアニマル,特に家庭で飼われる動物の愛護を考える場合の特殊事情は,飼い主との間に生じている絆(ボンド)の強さであり,その関係は家族ときわめて近いことである.苦痛を与える根拠がない動物だけに,専門知識と技術を十分に生かして社会的理解を拡げ得る分野である.
 実験動物あるいは動物実験,動物実習は動物愛護上もっとも悩ましい問題とされているが,獣医師としては疼痛制御など多くの専門的知識,技術を活かすとともに,最終的には法整備までも視野においたリーダーシップをとるべきであろう.動物愛護への具体的かつ積極的な関与こそ,必要最小限度の動物実験を可能にする重要な道ではなかろうか.
 最後に,動物に対する社会道徳が向上するほど動物に関わる職業の社会的地位が高くなり,現在その代表的職業人として認識されている獣医師には,いずれの分野においても,社会が利用する動物の愛護を確実にして欲しいという期待が大きいことを強調したい.

|||.獣医学教育における動物利用―日本獣医畜産大学における考え方―
池本卯典(日本獣医畜産大学)
 「動物の愛護及び管理に関する法律」は動物を〈生命体〉と認めた.それを従来の民法・刑法上における〈物〉の概念で対応してよいか,臨床実習,基礎教育における動物利用を生命倫理の立場からいかに扱うか,教員も学生も戸惑っているといえよう.
 本学では,学生の臨床実習と臨床を見据えた実験における学生の関与を次のように理解している.いずれも,動物医療における倫理および限界的獣医療の理念を弁えていることが教育要件である.
(1) 臨床実習:Clientの依頼による疾患動物の医療の場合は,学生の臨床実習はClinical clerke shipとしての臨床実習であり,従って獣医療行為を行ってはならない.獣医療においては,補助職は法定されていないので,単純な補助行為は違法とはいえないと思われる.ただし,獣医療の全責任は,免許を有する獣医師(教員)にあるといえよう.

〔注〕 [1] 動物は有生動産であり,所有権の客体となる(民法).
[2] 獣医師免許のない者が業として動物を診療することは許されない(獣医師法).
(2) 臨床教育としての動物実験:実験動物の所有者は大学であり,獣医学教育を目的とした実習である.動物の愛護及び管理に関する法律,実験動物の飼養及び保管等に関する基準等に従い,実験および実習を実施する.実験および実習前における動物と実験者との対面,実験および実習後の処置等について十分な配慮をする.

〔注〕 [1] 医学教育における人体解剖実習は献体法等により,死体損壊罪(刑法第190条)は阻却される.しかし,医学生等以外の学生(たとえば獣医学生)がみだりに人体解剖を行えば違法性は構成されよう.逆に,医師,医学生等の獣医療行為は違法である.
[2] 獣医師および人工授精師等の免許がなくても,学術研究のため自己の所有物である動物から精液を採取したり,人工受精を実施しても違法とはされない(家畜改良増殖法第11条).
  獣医学および獣医療には獣医療倫理と呼ばれる教育科目が存在し,医学および医療に比較し晩蒔きながらその梗概はできている.しかし.獣医学を含めさらに農科学の倫理が問われている時代といえよう.

|V.目標は「動物とともに」学ぶ獣医学教育
林 良博(東京大学大学院農学生命科学研究科)
 結論から先にいえば,獣医学教育は“動物を利用して”行うのではなく,“動物とともに”行う教育へ近づけることを究極の目標としていると私は考える.この“究極の目標”とは,実現は容易ではないがいつか達成したいという願望が含まれた目標という意味である.なお,獣医学における教育目標は,獣医学研究が“動物を対象に”行うのではなく,“動物とともに”行うことを究極の目標としていることと連動しているものである.
 獣医学教育が医学教育と決定的に異なる点は,獣医学が“人と動物の福祉の向上を目的とした学”であるのに対して,医学は“人の福祉の向上を目的とした学”であり,後者には“動物の福祉”が含まれていないことである.もちろん,医学教育や医学研究において動物を利用する場合,動物に対する福祉が最大限に尊重されなければならないが,それが医学自身の目的に含まれていないことである.
 ところで,動物の“殺処分”を“安楽死”と偽って表現することが,医学のみならず獣医学においても一般化していることは.私たちにとってきわめて不愉快なことのひとつである.動物を安楽死させるという言葉は,動物が耐えがたい苦痛に襲われ,その状態が改善する見込みがない場合にのみ使用されるべきで,いかに人道的に殺処分が行われようと,人の都合で動物を殺す場合は安楽死ではなく,殺処分と呼ばなければならない.
 美しい言葉でことの本質を誤魔化そうとするのは,理性を尊重する教育,研究者の採るべき道ではない.しかし残念なことに,外部から“動物実験の非人道性”を非難された場合,大学,研究機関等の教育,研究者は途端に口が重くなる,あるいは,ことの本質を誤魔化そうとする態度が見え隠れすることが少なくない.その原因のひとつは動物愛護団体の一部の過激な言動にあると私は思うが,この問題についてはここでは省く.
 話を本題に戻す.教育において,特に人とともに“動物の福祉の向上を目的とする”獣医学教育においていまなお“動物ごときのことで大騒ぎをする必要はない”という“傲慢さ”が残っているとすれば,それは教育の過程で学生に“健全な精神を麻痺させてしまう”ことになりはしないかという恐れがある.一般に,たとえ劣悪な環境にあっても暫くすると慣れてしまうという恐ろしさがある.これは学生だけでなく動物に対してもいえることで,“うちの動物は大丈夫ですよ”と回答する動物飼育施設の中には,飼育者側にも動物側にも“無意識のうちに強いられた慣れ”があることが多い.それに甘えているうちは本物の動物福祉とはいえないだろう.

V.獣医学教育の目標と動物利用
杉山 誠(岐阜大学農学部)
 動物の命を大切にと言われて反対する人はほとんどいない.いっぽう,私たちの生活は多くの動物の利用によって成立し,動物の死に依存している.このことは,命の大切さを感じる部分と動物を利用している現実の間に矛盾があることを意味する.生活が豊かになるにつれて前者の矛盾は深刻化する.この矛盾に対処するためには両者を包括できる存在が必要となる.ここに今後求められる獣医師像がみえてくる.最近,この新しい社会的使命に対応すべく国家試験科目に獣医倫理と動物福祉が加えられた.
 社会的責任を果たす獣医師の養成が大学に与えられた使命である.大学は使命に基づき教育目標を設定し,洗練された教育方法を採用しなければならない.軍馬,畜産から始まった獣医学は,死を伴う動物の利用を前提に発達してきた.今,獣医学教育にこの前提の再考が求められている.しかし,完全な代替法がない現状では,獣医学教育における動物の利用を止めることは教育目標,効果の点から難しい.したがって,動物を利用する授業では,目標,効果.4R等が厳しく問われることとなる.
 岐阜大学では,将来の獣医学教育に向けて新しい社会的責任にも対応しうる獣医学教育の目標とその具体例,カリキュラムの検討を行った(http://jvm2.vm.a.u-tokyo.ac.jp./kaizen/kaken/org/Gifu.htm).獣医学教育組織の拡充がないかぎり,この目標の達成は難しい.いっぽう,現状の教育では,獣医倫理と動物福祉の内容が不十分であることが判明した.そこで,獣医学導入授業として入学直後の学生に学外の専門家の講演を受講させた.
 受講前には半数の学生が動物実験に対し「かわいそう」といった情緒的な印象を持っていたが,講演後にはこのような回答はなくなった.また,2年次の獣医学導入実習では,学科数官22名中14名の参加のもと,動物実験と生命倫理に関する教育を始めた.実習後,2/3の学生が後輩にもこの授業を受けるべきとし,6割の学生は倫理観が得られたと回答した.冒頭の社会的使命に向け,今後,学生たちが考えを深めていくことを期待すると同時に,私たちも考え続けなければならない問題と位置づけている.
 人類と動物の福祉に貢献するという獣医学教育の目標に向けて,大学は社会的制約のなかで洗練された教育を行うようにつねに努力しなければならない.この問題に関して,獣医学関係者には動物利用のみを目標としてきた獣医学からの脱却が,学生(豊かな社会)には人間生活が動物の死に依存しているという現実の認識が求められる.

VI.基礎獣医学教育における動物利用
伊藤茂男(北海道大学大学院獣医学研究科)
 北海道大大学院獣医学研究科・獣医学部における動物を利用した基礎獣医学教育について纏めた.動物実験を行う場合には適切な環境下で動物を飼育するということが前提である.獣医学研究科の実験動物施設はいろいろな実験動物を飼育する施設であると同時に,動物の飼育管理を学ぶための教育施設でもある.このような観点に立ち,大動物から小動物まで飼育できる動物施設と糞尿処理施設,ダイオキシン対策と灰塵対策を施した焼却炉,P3レベルの感染実験ができる動物室などを建設,整備してきた.基礎獣医学演習では,新入生にこれらの施設を見学させ施設の概要を説明している.飼養管理実習では,2年生は畜産動物の飼育管理を学び,5年生は所属する研究室で飼育している実験動物の飼育管理を行っている.
 学部基礎科目の解剖学,生化学,生理学,薬理学,毒性学,実験動物学の実習で動物を使用している.解剖学,生理学および薬理学実習では,動物や組織を用いた実習が主であるが,その他の科目では動物を用いた実習は少ない.犬に関しては,購入したビーグル種を用いて麻酔下で薬理学実習を行い,その死体を保存し,これを用いて解剖学実習を行っている.動物を用いた実習を行う場合は,動物実験委員会の承認を受けなければならない.実験動物学教室が担当する授業では,実験動物の取扱い法や安楽死法を教えている.動物実験委員会は,大学院1年生,学部5年生および研究生を対象として,動物施設の規則,動物の苦痛の軽減法や安楽死法に関する講習会を行い,これを受講した学生,研究生だけに動物施設への入室を許可している.
 獣医学研究科では,ほとんどすべての研究室で動物実験が行われている.このため,大学院1年生を対象に必須科目「動物実験方法論」を開講している.この科目では,動物実験における動物利用数の削減を目的として,生物統計学の基礎とサンプルサイズの事前推定法を教授している.また,大学院1年生は,必ず動物実験委員会が行う講習会を受講しなければならない.
 学部数育においては,動物をまったく使用しない実習科目も多く,そのような実習の担当教官と動物を利用する実習を担当する教官の間には,実習における動物利用に関する問題意識に差があるのが現状である.獣医学教育における動物利用に関する議論をさらに深める必要があると思われる.

V||.臨床教育と動物利用
若尾義人(麻布大学獣医学部)
 獣医臨床教育の中で実際の動物を利用するか否かに関してこれまで多くの議論が繰り返えされてきたが,現在では,動物愛護の観点から必要最小限度の数を利用する方向で一致している.特に,小動物臨床教育では対象がイヌとネコに集中するため,産業動物臨床教育以上に獣医倫理の観点からの教育方法の改善が要求されている.いっぽう,これまでの獣医臨床教育の中で動物の果たした役割は大きく,特に小動物臨床が現在のレベルに到達した背景の一つにイヌおよびネコを利用した実習教育があることも,多くの獣医師が認めている.このような背景ならびにわが国の獣医臨床教育がいまだ成熟していない現状下で,動物愛護の観点から動物を利用しない臨床教育が果して可能なのか,あるいは,動物を利用するならばその限界はどこなのかを,私見を交えて考えてみたい.
(1)臨床教育カリキュラムと動物愛護:
  わが国における多くの臨床教育カリキュラムは,動物愛護の観点から動物利用数を必要最小限に抑えているとはいえ,なんらかの形で動物の利用を前提に構成されている.獣医大学における臨床教育の理想が卒業時点である程度の臨床をこなせる学生の輩出にあるならば,動物および症例を利用した在学中の実践教育が必要なことは十分に理解できる.動物愛護の観点からの要求と,動物利用を必要とする実践教育上の要求を満たす教育カリキュラムの作成が必要である.
(2)動物を利用した臨床教育カリキュラムの作成:
  上記の2つの要求を満足させるもっとも有効な方法は,基本的な部分は症例以外の動物を利用し,応用部分に関しては来院する臨床例を用いて実施することである.動物愛護の観点からすべてを来院臨床例の教育に変えるべきとの指摘もあるが,動物病院の充実の遅れや学生の症例教育が法律的に認められていないことから,欧米と比較してわが国での完全な実施は困難である.重要なことは,わが国では動物利用に関して各大学が異なっており,動物を利用した実習の限界の設定が不明確な点である.限界設定は,実習担当者個人でなく各大学の問題と考える.
(3)動物利用の限界と倫理:
  外科臨床では,全身麻酔を行い,消毒を実施し,皮膚にメスを入れ,止血鉗子によって出血部分を鉗圧し,開腹手術を経験させることが必要最低限の教育である.部分的には代替教材によって置き換えることは可能であるが,単に手技的な問題だけでなく,手術の流れを経験させ,生体にメスを入れる緊張感が外科手術の成功にきわめて重要であることを教育するために動物利用は必要不可欠である.一方では,動物利用が臨床教育に必要であるならば,その利用に関する社会的に容認される十分な倫理的背景が必要である.各大学の動物実験倫理委員会が動物を利用する臨床教育に対して十分に機能することが要求される.

(次号へつづく)

† 連絡責任者: 前島一淑
(慶應義塾大学医学部動物実験センター)
横浜市青葉区あざみ野3-4-3-401
TEL・FAX 045-902-9409