馬耳東風

 
 なぜ犬を食べてはいけないのか.今年ソルトレイクの冬期五輪で,失格して金メダルを逃した韓国の選手に,アメリカのテレビが,彼は怒って犬を蹴り,その肉を食べているかも知れないと放送して,判定そのものに不満を持っていた韓国市民の気持ちを逆なでした.
 これ以前ソウル五輪の際も,欧米の動物愛護団体が韓国では犬を食べるといって犬肉料理追放を要求した.
 それ以降韓国は,犬を食べる習慣は恥ずべきこととして表社会から消そうとしたが,単にタブーとして潜伏しただけで消えたわけではなく,食文化の伝統だとして今も残っているようだ.代表的犬料理は煮込み風の補身湯(ポシンタン)で,焼肉も好まれていると聞く.
 昔から韓国では,犬食の習慣は伝統の中にもタブー視されていた.犬を食べた者は不浄な者として,清浄さが要求される儒教的祭祀の場に参加できず,伝統社会からも野蛮視されていた.一方,中国やベトナムにも犬食の習慣があるが,やはりタブー視されている.しかし韓国では夏バテ防止のために,「三伏(サムボツ)」という庚(かのえ)の日に犬肉を食べる.日本で土用の丑の日に鰻を食べるように.この日は犬肉が高値で売れるとも.
 ではなぜ,犬食の習慣があるのにタブー視するのか.この矛盾の説明として,人間の認識構造から動物のカテゴリーと社会関係のカテゴリーとの相同性を指摘した仮説がある.エドマンド・リーチは,それは自然のプロセスが連続的なものに対し,文化的カテゴリーは非連続的なもので,これに人工的な境界を定めるために,カテゴリー間の中間的部分がタブーとして抑圧されるという.
 つまり,自己から距離が離れていく同心円的空間において,中間的カテゴリーに相当する存在がタブーの対象となる.たとえば動物のカテゴリーでは,野生動物でもない,飼育動物でもない犬や馬のように,身近かな動物は食用のタブーの対象になるというのだ.
 さて最近の新聞によると,韓国には今も農村に犬牧場があり,食用犬を飼育している.感染症予防など衛生的に管理し,繁殖後1年で出荷する.中国では脂身の多い柔い肉が好まれるが韓国では赤身の歯ごたえのある肉が人気.健康ブームで年間100万頭飼育と推計される.
 韓国忠清大学の安龍根教授は,食文化として犬食を研究しているが,牛を食べる狩猟民族が犬を食べる穀食民族を野蛮だというのは言いがかりで,鯨を食べる日本人を非難するように有色人種への蔑視だと自論を述べる.
 犬は家族の一員とみれば,法的規制はないものの心理的文化的抵抗で食べ難くなる.食文化の矛盾か.

(寅)