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動物病院において獣医師は動物の診療を行うことが責務であるが,動物を連れてくる飼い主さんとコミュニケーションをとりながら十分なインフォームド・コンセントのもとで診療を行うことが求められている.換言すれば,多くの治療方針の中で飼い主さんは何を要望し,どのようにしてほしいかを瞬時に読み取り,上手にコミュニケーションをとって飼い主さんの要望に適切に答え,信頼関係を築き上げていくことが理想である.その背景には,獣医学的知識および技術(自分の能力を超えた疾患を他の然るべき適切な機関に紹介できることも知識であろう)が獣医師に備わっていなければならないことはいうまでもない. 日常診療の中で,さまざまな診察状況に遭遇する.飼っている動物に何かあった場合,生きていく意欲を失ってしまうのではないかと思われるほど家族同然あるいはそれ以上に動物をかわいがっている飼い主さんも少なくない.一方,自分が引っ越すため飼えなくなったので健康な動物の安楽死を依頼してくる飼い主もいる.また,ある伝染病に野外感染した動物を虚脱状態で連れてきて,「この子に何かあったらただではおかないぞ」と,いきなり女性勤務獣医師にすごんできた飼い主もいた.さらに診察中に犬のことが心配で気がたっていた飼い主が男性勤務獣医師の態度が気に入らないとその獣医師の胸ぐらを掴み,危うく大惨事になりそうになったこともあった.このように獣医師は,診察に絡みいろいろな飼い主さんと対応していかなければならないため,動物病院はまさに,さまざまな人間模様の現場でもある. 何度も病院を訪れるようになると気心が知れて,飼い主さんの身の上相談から仕事や夫あるいは姑の愚痴など,話の内容は診察とはまったく関係ないところにおよんでいく.そのとき獣医師は,臨床獣医学を学んだだけでは飼い主さんの要望や悩みに答えていくことは困難であることを日々経験するようになり,その結果,度量を広くもち,人生経験を積まなければならないことを痛感する.私は,臨床獣医師は診察以外のことでも飼い主さんの話をよく聞いてあげることで,飼い主さんの心の負担を軽減してあげることが望ましいと考えている.さまざまな状況の中で,「そのとき,自分は飼い主さんにどのように接しなければならないか」との命題に対するひとつの答えなどないが,その対応如何から飼い主さんは私たちの全人格や全能力を評価するのであろう.その視線を感じるたびに臨床経験の浅い獣医師にとって老若男女さまざまな職業や性格の方と接すること自体,荷が重過ぎるのではないかと察する.語弊がある言い方を許していただければ,個人の性格や人生観によるところが大きいが,その個人の生きてきた環境や社会的経験などにより,獣医師に対する飼い主からの支持が大きく異なってくるのではないかという印象さえ受ける. 以上のように,動物病院の獣医師は動物を診ることが仕事ではあるが,実は,人間をよく見ることが求められているともいえる.人生経験を積んで,学術的かつ人格的に向上し,心のこもった診療ができるようになれば飼い主さんから真に信頼されるであろう.そうなれれば臨床獣医師としては本望であり,至福のときである.自分は「いつ,そうなれるのであろうか」と,ふと考えこんでしまう.日々,試練である. |
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