資  料


生産現場のHACCPガイドラインの策定
―経緯,現状,今後の対応について―

小野寺 聖(農林水産省生産局畜産部衛生課課長補佐)


 は じ め に
 

 わが国の畜産は,農業の基幹的部門として発展してきており,畜産物の安定供給という基本的な役割をはじめ,地域社会の活力維持,国土や自然環境の保全等,その果たす多面的な役割は一層重要なものとなっているところである.近年のように国際化が進展してきている中で,国内畜産物を消費者に選択してもらう,商品としての競争力をもつためには,そのニーズに的確に対応した製品を生産する,ということが畜産の振興に不可欠と考えている.
 HACCP方式とは,もともとは1960年代米国で宇宙食の安全性確保のための衛生管理方式として生まれたものであるが,国際的にサルモネラや大腸菌による食中毒事故の多発,大型化がみられている中で,食品の安全性を確保するための衛生管理方式として,国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)の合同で開催する「合同食品規格計画(CODEX)委員会」で検討が進められ,1993年,「HACCP方式とその適用のための指針」の公表,「食肉の衛生取扱規範(図1)」の決議がなされ1994年に加盟各国に勧告されたものである.
 このなかで,と畜場以降の食肉の製造・加工段階の安全性確保対策に加え,生産農場段階における安全性確保対策として,食肉衛生検査成績の活用等のほか,生産段階におけるHACCP方式を用いた衛生管理体制の整備が求められており,家畜衛生行政としても,安全性確保対策の手法としてHACCP方式の生産段階への導入を検討することとなった.

[1] 生産段階における定期的なモニタリング・サーベイランスの実施
[2] 出荷時の獣医師による衛生検査の実施
[3] 食肉衛生検査成績の生産農場への伝達体制の整備
[4] 食肉衛生検査成績を活用した生産段階における安全性確保対策の推進
[5] 家畜疾病の撲滅対策の実施による家畜の健康と食肉の安全性確保対策の推進
[6] 医薬品等化学物質が食肉中に残留しないようにコントロールする体制の整備
[7] 食品の生産段階のすべてにおけるHACCP方式を用いた衛生監視体制の整備
図1 食肉の衛生取扱い規範(抜粋)

 
1.生産段階におけるHACCP
 HACCP方式の基本的な考え方は,「食品の生産から消費にいたる一連の過程において,危害の原因となり得るすべての危害要因を特定し,その発生を防止するための管理手続を定めてこれを監視する」ことにより,生産者自らが製造工程を管理し,生産物に対する安全性をチェックするという点で,従来の「製品の検査」に重点を置いた衛生管理手法とは異なっている.
 同様に,家畜の生産段階においても,従来の「疾病に罹患した家畜」または「家畜の検査」による家畜の摘発に重点を置いていた視点を,「危害の発生を予防するために必要な作業箇所の重点的な管理」という「生産工程」に目を向けた予防的衛生管理方法に転換し,安全性を確保しようとするものである.
 HACCP方式の生産段階への適用・応用を考えた場合,食品の製造・加工段階と生産段階では,その環境が大きく異なっている.家畜の飼育環境は食品の製造過程のような密閉された施設ではなく,開放された畜舎さらには放牧と,外界と常に接触しており,完全に遮断することはほとんどの場合不可能であり,また,素畜の導入から出荷までの管理期間が長いこと,食品の製造段階のような煮沸滅菌等病原体を殺滅する工程がないことから,その安全性に関わる要因は非常に多岐にわたり複雑となっている.
 しかしながら,このことは逆に生産段階にHACCP方式を導入するメリットが大きく,このような複雑な要因を,飼養管理の工程ごと,危害の種類ごとに,その侵入経路等を分析し,特に重要なポイントを設定するという,いわゆる危害分析を行うことにより,飼養管理においては,そのポイント,ポイントごとに,気を付けて飼養管理を行うことで,危害をコントロールすることとなり,これにより効果的かつ効率的な管理が可能となるとともに,モニタリングの検査も場所を絞って実施できる等簡素化を図ることが可能となるものと考えている.
 また,これらの実施状況を記録し,定期的にチェックすることにより,家畜の管理者自らが問題点を把握し,衛生管理の改善・効率化,衛生水準の向上を図るとともに,消費者または第三者に対してこれらの記録を提示することにより,その安全性を証明することができるものと考えている(図2).
図2 生産段階における特殊性

  2.これまでの取り組み
 現在,すでに農場においてHACCP方式に基づく衛生管理を実施している先進的な畜産経営もあるが,HACCP方式を導入するためには,各農場ごとに作業工程の調査・分析や細菌の汚染状況調査等をもとに,危害分析を実施しHACCPシステムを作っていく必要がある.しかしながら,実際には各畜産農家の飼養環境(生産形態,施設の環境,素畜の導入状況,飼料の導入先等)や家畜の飼養管理方法は異なっており,畜産農家が個々にこれらの調査・分析等を行うことは困難と考えている.
 このため,HACCP方式を生産段階に円滑に導入し,かつ全国的に普及させていくためには,農場ごとのHACCPシステムを作成する際に参考となる指針,いわゆるガイドラインを作成することとして,「畜産物生産衛生指導体制整備事業」において都道府県,家畜保健衛生所とともに,平成8年度から平成13年度までの6年間を,次の3段階に分けて事業を進めてきた.
  第1段階:HACCP方式による衛生管理モデル導入に係る調査・検討・普及・啓蒙
 危害要因の調査すなわち対象危害を決定するため,モデル農家における家畜の飼養概要,生産工程(フローダイアグラム),危害特性要因等の生産衛生状況実態調査,危害分析のための微生物汚染実態調査および一般衛生管理状況調査を実施.
  第2段階:HACCP方式による衛生管理基準の作成・検証
 第1段階で得られた調査結果をもとに危害分析を行い,衛生管理総括表,CCP整理票,一般衛生管理マニュアル等HACCP方式の考え方に基づく衛生管理ガイドラインの原案の作成を実施.
 第3段階:HACCP指針の検証・決定
 衛生管理ガイドラインの原案の検証・見直し作業を行うとともに,生産現場で利用可能なモニタリング器機の検証,各畜産農家での衛生管理ガイドライン適用の際の問題点の把握等を実施.
 これらの段階を経て,現在,最終取りまとめを実施しているところであるが,衛生管理ガイドラインでは,危害として近年問題となっているサルモネラ菌および抗生物質の残留については,牛・豚・鶏のすべての畜種に,出血性大腸菌は牛,カンピロバクター菌は鶏(ブロイラー),注射針の残留を牛(肉用牛)・豚に設定(図3(A))して作成しており,衛生管理ガイドライン(図3(B))は,
[1] 一般衛生管理マニュアル
 家畜の飼養管理において,基本となる以下の項目ごとに衛生管理の作業内容を記載
 ア 素畜の搬入,飼料の搬入・保管等
 イ 施設・設備などの衛生管理,洗浄・消毒等
 ウ 家畜の健康管理方法等
 エ 家畜の運搬・出荷時の注意事項等
 オ 従事者の衛生管理,教育等
[2] 衛生管理総括表
 作業工程ごとに,主要な危害要因(危害が侵入または発生する原因),防止措置(それを防止するための措置),管理基準(適切に実施するための方法),モニタリング方法(適切に実施されていることの確認方法),記録内容等を記載し,農場での全体の作業工程の危害分析の検討に利用.
[3] CCP整理表
 上記の作業工程のうち,危害を効率的かつ効果的に管理するために,特に重要な作業工程について,詳細にその実施方法等を整理したもの
[4] そ の 他
 生産工程図,危害特性要因図等,個別農場で衛生管理方法を定める際に,参考となる資料
 以上の4つの内容から構成することとしている.
A.危害の設定
家畜の
種 類
抗生物質等
の残留
注射針
の残留
食中毒原因病原体
乳用牛 サルモネラ,
腸管出血性大腸菌O157
肉用牛 サルモネラ,
腸管出血性大腸菌O157
サルモネラ
採卵鶏 サルモネラ
ブロイラー サルモネラ,
カンピロバクター
図3 衛生管理ガイドラインの概要
 
B.衛生管理ガイドラインの内容
[1] 一般衛生管理マニュアル
 日常に実施する衛生管理の作業手順
[2] 衛生管理総括表
 飼養管理の危害分析の実施内容
[3] CCP整理表
 重要管理点の管理方法等
[4] その他(危害分析の実施に当たって参考となる資料)
 ・生産工程図
 ・危害特性要因
 ・汚染状況調査結果
図3 衛生管理ガイドラインの概要

  3.今後の課題と取り組み
 HACCP方式は,基本的には,日常の飼養管理や作業内容の点検,そして重点的に実施すべき作業箇所の把握と,その箇所の作業の遵守,そして作業の実施状況の記録から成り立っているものであり,一般的には特別な設備・装置や特殊な技術は必ずしも必要ではなく,導入できるか否かは,生産農家個々の生産物に対する安全性,飼養管理に対する意識の持ち方によるところが大きいと考えている.
 このような中,今後のHACCP方式の畜産農家への導入に当たっては,当該衛生管理ガイドラインを参考にして,
[1] 日常の飼養管理や作業内容の点検・確認
[2] 危害防止上の重要な作業箇所の確認
[3] [1]および[2]を踏まえた作業マニュアルの作成
[4] 作業の実施状況を記録
を行っていくことになる(図3(C)).

C.生産段階におけるHACCPの考え方に基づいた衛生管理とは
日常の飼養管理内容を点検
食中毒の原因菌などの危害因子の侵入を効率的かつ効果的に防止するために重点的に実施すべき作業とその実施内容を定めて衛生管理を実施
飼養管理が適切に実施されていることを,作業実施状況の記録,定期的な検査等により確認
自らの衛生管理水準の向上
図3 衛生管理ガイドラインの概要

 しかしながら,衛生管理ガイドラインに基づいて衛生管理を行うことが,HACCPではなく,その後,定期的な検証,細菌検査成績等を踏まえ,衛生管理上の問題点を改善しつつ,その農場のHACCPシステムを作り上げていくことが必要である.
 このため,定期的な検証体制の構築と,危害分析を行い衛生管理上の問題点を改善指導できる指導者の養成が今後の課題となっている.このうち検証体制の構築については,平成14年度の生産振興総合対策事業において,地域一帯となった推進体制,管理体制等の検討を,モデル地域を設定して生産者団体およびと畜検査所等とも連携しながら,事業に取り組んでいくこととしている(図4).
 一方,獣医療法における獣医療提供体制の整備に係る基本方針において,今後の産業動物分野における課題として,新たな防疫体制に対応できる獣医師の養成およびHACCP手法の普及に対応できる獣医師の養成等新しい獣医療技術の開発・普及の推進とあわせた研修体制の体系的整備が必要とされているところであり,国としてもHACCPに関する指導者の養成について,具体的に検討を進めていく必要があると考えており,HACCP方式の考え方に基づく衛生管理ガイドラインの畜産農家への普及・定着が円滑になされるよう,今後とも,関連事業の一層の充実・推進を図っていくこととしている.

【生産段階における実施体制モデルの検討】
図4 畜産物生産衛生管理体制整備事業