資  料

韓国で発生した口蹄疫とわが国への侵入リスクについて

筒井俊之 坂本研一 村上洋介 吉田和生 志村亀夫 濱岡隆文 山根逸郎
(独立行政法人 農業技術研究機構 動物衛生研究所)

 1 序  論
 
 2002年5月3日に韓国当局からわが国農林水産省に口蹄疫を疑う疾病の発生について通報があり,翌5月4日に口蹄疫と確認された.これを受け,農林水産省はただちに韓国からの家畜・畜産物の輸入を禁止した.わが国は4月12日に韓国を口蹄疫の清浄国と認め,輸入禁止地域から解除したばかりのことであり,大きな衝撃を受けたが,最も衝撃を受けたのは韓国の関係者であったと予想される.2001年に英国で大流行した口蹄疫は家畜400万頭の殺処分をもたらし畜産業に大きな被害をもたらしたのみならず,観光業などの他産業にも大きな悪影響を及ぼした.また,英国での発生がフランス,オランダ,アイルランドなどの周辺国にも飛び火し,国際的な交流が活発化している現在において,口蹄疫の侵入防止の困難さを改めて痛感させた.ここでは,これまでの韓国の発生状況と,想定されるわが国への侵入リスクについて分析を行った.

 

 2 韓国での発生経緯
 
 5月4日に首都ソウルの南約60kmの京畿道安城において,280頭の豚の死亡が確認され,臨床症状と抗原検出ELISA法により口蹄疫と診断された.また,同日,忠清北道鎮川(初発地から27km離れている)においても,豚での発生が確認された.分離された口蹄疫ウイルスは汎アジア型のOタイプであった.
 さらに,同月11日に初発地近くで4農場,13日には京畿道と忠清北道の発生地近くでそれぞれ1件新たに発生が確認され,これまでのところ,豚を主体として牛,山羊を含めて約96,000頭が殺処分された.
 遺伝子解析の結果から一昨年に流行したウイルス株とはVP1領域での相違は3%以内であり,近い関係にあった.2000年の日本分離株や2001年のイギリス分離株とも同様の関係にある.
 韓国では2000年3月24日に京畿道で66年ぶりに口蹄疫が発生し,同年4月15日までに京畿道3農場,忠清北道1農場,忠清南道11農場で発生が確認された.これらはすべて牛での発生であり,豚での発生はなかった.蔓延防止のために2,216頭の家畜が殺処分され,同年8月末までに豚を中心に86万頭の家畜にワクチンが摂取された[1].その後,発生は認められず2001年5月には国際獣疫事務局(OIE)にワクチンを接種していない口蹄疫清浄国として認められていた.


 3 口  蹄  疫
 
 口蹄疫は,ピコルナウイルス科アフトウイルス属の口蹄疫ウイルスの感染による急性熱性伝染病で,おもな症状として偶蹄類の動物の口周囲や蹄部に水疱を形成する.口蹄疫ウイルスには,相互にワクチンの効かないO,A,C,Asia1,SAT1,SAT2,SAT3の7種類の血清型がある.また,同じ血清型にもワクチン効果が部分的にしか認められないウイルス株も多く存在する.本病は伝播が速く,畜産のみならず経済全体に大きな被害を及ぼすことから,OIEにより最も重要な家畜の伝染病(リストA疾病)に指定されている.わが国においては,本病を家畜伝染病に指定し,その防疫は「海外悪性伝染病防疫要領」に基づき対応することになっている.
 近年,アジア地域に広くOタイプによる口蹄疫の発生が認められた.1997年に豚に強い親和性が認められた台湾の口蹄疫,それに続き1999年台湾の牛,2000年3月日本,韓国,さらには同年4月極東ロシアの豚およびモンゴルでの牛,山羊,羊やラクダへの感染,2000年9月南アフリカ共和国,2001年のイギリスにおける発生など,1997年台湾の分離株以外,すべてが遺伝子解析により同一グループのウイルスによることが明らかにされた.これらウイルス株は汎アジアグループと呼ばれ,遺伝子の比較から1990年にインドで分離された株に起源があることが推測されている.しかし,同じグループであっても分離株間で感受性家畜に差があるなど,その病原性に多様性が認められる.もう一つの特徴としては,このグループによる口蹄疫があまりにも広範囲に拡散して発生している点がある.これまでの口蹄疫では,その発生地域はある程度限局していた.今回韓国で発生した口蹄疫も同一の遺伝子群に存在することから,その発生原因の追及がこの地域における本病の防圧に欠かせない.

 

 4 韓国の家畜飼養状況と感染拡大の可能性
 
 韓国の家畜の飼養状況を地域別にみると,南部に在来牛が多く北西部に乳牛と豚が多い.また,数は少ないものの山羊も全国的に飼養されている.韓国において豚の飼養密度が高い地域は北西部の京畿道と忠清南道であり,これらの地域ではわが国で最も飼養密度が高い鹿児島県(141.6頭/km2)を超えている.特に,初発地の京畿道は豚の飼養密度が高い地域で,鹿児島県より少し大きい地域に鹿児島県の1.6倍の豚が飼養されている.また,牛の飼養密度も北西部の京畿道と忠清南道で高く,わが国の宮崎県(41.2頭/km2)や鹿児島県(40.2頭/ km2)と同程度である.
 また,1戸当たりの飼養頭数について,在来牛では京畿道と済州島を除き,平均飼養頭数が10頭未満と小規模飼養農家が多い.乳牛ではわが国の都府県と同程度の飼養規模である.豚の飼養頭数はわが国の平均960頭と比較すると規模が小さいと考えられる.
 1997年の台湾での発生は豚が広域に移動した結果,2週間足らずで台湾のほぼ全土に感染が広まった.台湾の豚の飼養密度は非常に高く,台湾全土の平均で292頭/km2で,最も飼養密度の高い中西部の雲林県では1,480頭/km2の豚が飼養されていた[7].感染源としての豚の役割は重要で,1頭の豚が排泄するウイルス量は牛の1,000倍に及ぶといわれている[5].台湾に比べると韓国では豚の飼養密度は小さいが,台湾では牛の飼養頭数が非常に少なかった.牛は口蹄疫に関する感受性が高く,豚の10分の1以下のウイルス量で感染する[4].したがって,豚の高密度地域に口蹄疫が続発した場合,大量に排泄されたウイルスにより,その地域内に飼養されている牛の感染のリスクは増大する.また,山羊や羊が口蹄疫に感染しても明瞭な症状を呈さないため,キャリア動物として防疫対応を複雑にする.



 2000年の発生時も初発地は京畿道の乳牛飼養農家であったが,その後忠清南道,忠清北道の在来牛飼養農家にも感染が拡大し,リングワクチネーションにより感染の拡大を防止した.今回は豚での発生であり,移動状況も牛とは異なると考えられるが,一般に豚は牛に比べてライフサイクルが短く,移動も頻繁に行われるので,徹底した移動状況と感染経路の確認が必要であろう.特に,初発の京畿道は豚の飼養密度が高く,また,周辺地域にも新たに感染農場が見つかっていることから,移動制限等の感染拡大防止策の徹底が急がれる.
 現在の韓国の状況を分析すると以下のようにまとめることができる.
[1]  初発地の京畿道は豚および牛の飼養密度が高い地域であることから,豚が発症した場合,環境中に多量のウイルスを排出することを考慮すれば,他の地域での発生と比較して,感染が拡大する可能性は高い.
[2]  今回のウイルスが牛にどの程度病原性を有するかは不明であるが,仮に2000年にわが国で分離された株と同様に,牛に対する病原性が低い場合,牛に不顕性感染している可能性は否定できない.したがって,牛でのサーベイランス状況も注視する必要がある.
[3]  家畜の飼養密度が高いことおよび2000年の発生時には忠清南道にも口蹄疫の拡がりが確認されたことを考えると,この地域への口蹄疫の拡がりが懸念される.
[4]  韓国ではわが国に比べて山羊の飼養頭数が多く,山羊が感染した場合には不顕性感染を起こし,防疫を困難にする可能性があり注意を要する.

 

 5 わが国への侵入リスク
 
(1)  動物・畜産物など
 2000年の口蹄疫の発生以降,偶蹄類の動物およびその畜産物は日本に輸入されていないため,これらの輸入を介して口蹄疫がわが国に侵入する可能性は少ない.このことは,1996年に台湾に口蹄疫が発生した時点において,わが国が台湾から大量に豚肉を輸入していたこととは状況がかなり異なっている.台湾での口蹄疫の感染時期は3月始めとする指摘がある[1]が,実際に口蹄疫と確認されたのは3月19日であった.当時,日本は台湾から年間27万トンの豚肉を輸入しており,半月前に感染があったとすると,単純計算では感染から輸入禁止されるまでの間に1万トン以上の豚肉が輸入されていたこととなる.また,台湾からは牛の飼料となる稲ワラも輸入されていたが,2000年の口蹄疫発生以降韓国からは稲ワラも輸入されていなかった.現状において,過去に韓国から輸入されたものを介して,わが国に口蹄疫が侵入している可能性は低い.
 しかしながら,台湾や英国での口蹄疫の発生の原因として汚染国から密輸された肉が疑われているように,正規の輸入ルートを通らない密輸などにより,わが国に侵入する可能性は否定できない.
(2)  人の交流
 入国管理局がまとめた渡航先国別日本人出国者数では,平成12年に240万人の日本人が韓国を訪れており,これは渡航先国として米国の500万人に次いで2番目に多い.これは,年間に台湾を訪れる人の2.8倍である.さらに,観光目的の新規入国者の国籍(出身地)別をみると,台湾が79万人で最も多く,観光目的全体の34%を占め,次いで,韓国が52万人(22%)となっており,この2か国で観光目的全体の55.4%を占めている.また,本年5月末から「2002年FIFAワールドカップ韓国・日本」(ワールドカップ)が開催される予定であり,国土交通省の推定では韓国から日本へは16万1千人,日本から韓国へは15万7千人の一般観客が移動すると考えられている.
 韓国側では口蹄疫の発生地域を厳重に隔離するものと考えられるため,これらの観客がただちに口蹄疫ウイルスを持ち込むとは考えにくいが,通常から人的交流が活発である上に,ワールドカップに伴う人の移動が大幅に行われることを考慮すれば厳重な警戒が必要である.日本と韓国との間では移動時間も短く,フェリーによる車での移動も可能であることもあわせて注意が必要である.
(3)  その他の伝播ルート
 2000年の日本での口蹄疫発生時には風による伝播を疑う証拠はなく,また,1997年の台湾,2001年の英国での発生時にも風による伝播を疑う報告はなされていない.しかしながら,欧州での研究では一定の条件下では風による長距離伝播が起こることが指摘されている.Glosterら[2]は,口蹄疫の長距離伝播が起こるための条件として,発生地でウイルスが大量に放出されること,大気が安定でウイルスが拡散せずに高濃度に維持されるような状況にあること,相対湿度が60%以上でウイルスの生存に適していること,侵入先で多くの家畜が長時間ウイルスにさらされることを挙げている.特に,海上では遠距離伝播が起こる条件が整っており,陸上での60kmに比較して,海上では250kmまで起こりうるという指摘もある[6].2001年5月から6月の主要都市でみる韓国の湿度は高く,月間の平均湿度が60%を超える地域も多いが,ソウルから九州,本州までの直線距離は500km程度あり,韓国北部に発生がとどまっているかぎり,口蹄疫ウイルスが風によりわが国に運ばれる可能性はきわめて低いと考えられる.また,口蹄疫ウイルスは低温で長期間生存すると考えられており,夏場の野外での生存期間は冬場に比べて短い[6].しかしながら,韓国での発生が南部に及んだ場合,また,韓国内で風による伝播が疑われる兆候が認められた場合には,韓国に近接する島々を中心に万一のための警戒が必要であろう.


 6 考  察
 
 現時点において,韓国で発生した口蹄疫がどの程度拡大するかを予測することは難しいが,2000年に韓国やわが国が経験した口蹄疫は牛での発生であり,蔓延の様相は異なると考えられる.2001年の英国では羊の移動が,また,1997年の台湾では豚の移動が口蹄疫大流行の大きな原因となった.今後,韓国で感染が拡大するかどうかは,初発の確認事例での推定感染時期がいつ頃なのか,豚がどれほど移動していたかによるところが大きいのではないかと考えられる.口蹄疫の潜伏期間は,暴露されたウイルス量によって異なるが,一般に豚の潜伏期間は牛よりも長く10日とされ,その間に大量のウイルスを排泄するので感染源として問題となる[4].したがって,5月4日に初発生が確認されてから7日目の5月11日に4農場で新たな感染が見つかっているが,潜伏期間を考慮すると,これらの発生は二次感染によるものと推察される.韓国では発生地域から半径3km以内を危険地域,10km以内を警戒地域,20km以内を防疫地域とし,危険地域内の豚の全頭殺処分により蔓延の防止を図っており,これまでに9万6千頭の家畜が殺処分されている.これらにあわせて,発生農家において,感染を拡大させる原因となる家畜,人,物の移動状況を徹底的に調査し,迅速にリスクの高い農場を特定し,検査していくことが重要であろう.
 1997年の台湾での口蹄疫発生時には,わが国の豚肉輸入の4割が台湾からの輸入であったこともあり,大きな衝撃を与えた.幸いにも韓国からの牛,豚などの家畜,牛肉,豚肉などの肉類は2000年の韓国での口蹄疫発生以降輸入されておらず,最もリスクが高いと考えられるこれらの輸入を介した侵入の可能性は低い.しかしながら,今後の侵入のリスクを考える上で,韓国との間では台湾に比べて人的,物的交流が多く,さらに,5月末から開催されるワールドカップの開催に伴って両国間の大規模な人の移動が予想されていることなどはリスクを増大させる要因として十分な警戒が必要である.これらの旅客に対する注意喚起や国内での監視体制の強化はいうに及ばず,万が一の発生時の対応を再点検しておく必要がある.韓国での口蹄疫発生が速やかに終息することを望むとともに,関係者の注意を促したい.

 

 引 用 文 献
 
[1] 張靖男:豚病研究会報,32,7-11(1998)
[2] Gloster J, Sellers RF, Donaldson AI : Vet Rec, 110, 47-52 (1982)
[3] Lee JH : Report on the eradication of foot and mouth disease in the Republic of Korea, Ministry of Agriculture of Korea, Kwachon (2001)
[4] 村上洋介:山口獣医学雑誌,24,1-26(1997)
[5] Sanson, RL : NZ Vet Jour, 42, 41-53 (1994)
[6] USDA : Foot-and-mouth disease, Sources of outbreaks and hazard categorization of modes of virus transmission, Fort Collins (1994)
[7] 山根逸郎,鎌田晶子,杉浦勝明,浜岡隆文,村上洋介,白井淳資,難波功一:日獣会誌,50,583-588(1997)