資  料

渡り鳥の感染症―マレック病感染マガン発見を機に考える


浅川満彦(酪農学園大学獣医学部寄生虫学教室(野生動物学))

 

 は じ め に
 
 マガンAnser albifrons(国の天然記念物)は,ロシア・カムチャツカ州などで繁殖し,渡りの途中の秋と春,北海道美唄市宮島沼に約4から6万羽が集結する.したがって,宮島沼における感染症の発生は,わが国のマガンの保全生物学上,きわめて重要なのだが,2001年秋に飛来したマガン個体群の1個体がマレック病と診断された.

 

 マレック病とは
 
 マレック病ウイルス(Marek's disease virus)はヘルペスウイルス科の一種であり,その感染により全身的なTリンパ球の腫瘍性増殖を示す届出伝染病である.皮膚のフケにより空気伝播し,伝染力は非常に強い.特に,腫瘍原性株では脚・翼の麻痺を示し,解剖による肉眼所見として,肝臓などの主要臓器の腫大と白色腫瘍病変を形成し,治療法はなく致死的である.鶏には生ワクチンが接種されるものの,効果は腫瘍病変形成阻止に留まり,ウイルスの感染防止はできない.年に1万数千羽を超える鶏がこのウイルス感染により処分され,現在,もっとも被害の多い伝染病である.よって,マレック病に関わる研究者数も多く,たとえば,2001年度の獣医学会の講演のみを眺めても,北大,酪農大,岩手大,東大,岐阜大,国立感染研,動衛研,化血研,福島県食肉衛検などの発表があった.

 野鳥における腫瘍病変
 
 Friend and Franson(1999)のフィールドマニュアルによると野鳥における腫瘍病変(原因はウイルス以外にもある)の発見件数自体が非常に少なく,たとえば米国National Wildlife Health Centerの剖検実績によると,腫瘍が検出される確率は1%以下であるという.そのような意味でも,宮島沼の野生マガンから腫瘍病変が発見されたこと自体,非常に珍しい現象である.しかし,正確には「珍しいはずであった」としなければならない.それは,マレック病腫瘍病変発見の情報を日本野生動物医学会(後述)のメーリングリストに掲載した直後(2001年11月15日),同学会理事で獣医師の矢田新平氏(石川県小松市・矢田獣医科病院)から,「1997年1月17日,石川県片野鴨池で死亡したマガンを剖検した結果,同じような腫瘍病変を発見」との私信のメールが届いたためである.残念ながら,この症例では組織学的およびウイルス学的検討が行われていないので,マレック病であるかどうかの確定診断は難しい.しかし,野外でみつかることがきわめて少ないはずの腫瘍病変が,4年間に2度,検査個体数が少ないマガンからみつかった事実は注目すべきである.

 感染状況の把握と院内・園内感染の防止
 
 教科書的には,鶏と同じキジ目家きんの七面鳥やウズラのほか,キジ目以外の野鳥からもマレック病ウイルスが分離されているので,野生マガンでも不顕性感染の個体も多いことが予想される.したがって,今後の課題としては,感染状況の把握を一刻も早く行う必要があろう.また,越冬地や飛来地(可能ならばロシア政府などの協力を得て繁殖地においても)において,異常行動を示すマガンなどの水鳥を速やかに回収して,剖検が実行される必要がある.家きんや他の野鳥,あるいは動物園展示動物への感染も懸念されるので,この調査は一刻も早く実施すべきである.幸い,前述したメーリングリスト投稿後,伊豆沼・内沼サンクチュアリ友の会・佐藤俊郎氏から,マガンの本州における最大の越冬地の一つ,伊豆沼での監視体制を強化されること,また,東京都恩賜上野動物公園獣医師・成島悦雄氏から日本動物園水族館協会感染症対策委員会で対策を検討することのメール連絡をそれぞれいただいた.マレック病の研究者・検査担当者などは,全国各地の大学や家畜保健衛生所などで活躍されていることから,具体的な検査方法などは最寄の機関で相談されるのが望ましい.従来,傷病マガンは,治療後,道内の動物園で飼育されている(今回の個体もその予定であった).しかし,今後は,他の飼育動物への影響を考え,厳重な検疫などが必要となろう.また,傷病鳥を積極的に受け入れている一般の動物病院は,ウイルスの院内感染を防ぐべきである.さらに,安易な放鳥は,結果的に感染症のまん延に手を貸す可能性もあるので注意したい.将来的には,感染症のまん延予防の観点から,野鳥の飛来地や越冬地における一極集中を避ける工夫もなされるべきであろう.

 発生の懸念される他の感染症
 
 従来,野生鳥類におけるウイルス性疾患の調査というと,家きんの疾病の抗体保有状況の材料という側面で実施されることが多い.たとえば,マレック病と同じ届出伝染病の伝染性ファブリキウス嚢病ウイルスの1型の抗体が,野生のハヤブサ,カモメ,カモなどの血清から検出され,結論として,野鳥がこのウイルスを家きんに感染させる可能性があることが従来の獣医学は,人の健康とその財産である家畜・家きんを守るために発展した応用科学であり,このような結論(野生動物を単なる検査材料の一つとして扱うスタンス)はごく当然である.しかし,近年,生物多様性の保全においても獣医学が責務を果たすべきであるという声が高まり,野鳥自体の疾病に関しても目が向けらるようになった.前で引用されたFriend and Franson(1999)は,野生鳥類医学の分野ではもっとも使われている文献で,欧米で権威ある野生動物医学マスターコース(英国王立獣医大)でも,重要なテキストの一つとして採用されている.この中に収録されている感染症を表1に列挙した(英名も併記しているので,インターネットによる検索時のキーワードに利用されたい).中には,ボツリヌス症,播種性内臓型コクシジウムのようにすでに日本でも報告されているが,海外に見られるような大量死は起きてはいない.しかし,お隣の韓国で,2000年10月に1万羽以上のトモエガモが家きんコレラで大量死したことが知られ,いつまでも対岸の火事を決め込んでいるわけにはいかなくなっている.内部寄生虫症においても,最近,湖沼に飛来する水鳥(カイツブリ,コウノトリ,カモ・ハクチョウ類など)に限っても,エウストロンギリデス症,眼虫症,アミドストマム症,住血吸虫症など病原性の高い寄生蠕虫類が検出されているので,警戒が必要である.


 日本での野生動物医学的研究の萌芽
 
 このように,日本でも野生動物の重篤な疾病がいつ起きてもおかしくない状況にあることが理解できる.また,獣医学内外から,野生動物の疾病に対する懸念が発生じ,ついに1995年7月,日本野生動物医学会(事務局:岐阜大学獣医学科)が設立された.その活動の一つとして,マレック病を含め野生動物の疾病発生状況などが,同学会機関誌やホームページhttp://www.jjzwm.comなどで公開されている.ところで,冒頭紹介したマレック病変は,われわれの寄生虫検査時に偶然発見されたものであった.このケースのマガンのように,外科疾患として入院直後,死亡した個体は,通常,病理解剖には回されないので,偶然の賜物であった.本来ならば,野生動物の死体すべてを病理解剖に処すべきであろうが,改革下の獣医大学では,時間,スタッフ,予算,スペースなどのすべてが不足あるいは不十分では,単なる理想論でしかない.しかし,もし,真の生物多様性の保全を目指すことが国是とするのならば,このような病因分析などが不可欠である.そのことを,われわれ野生動物医学者は市民や行政に啓蒙し続ける必要がある.今回のマレック病マガンの事例は,そのスタートラインとなろう.