読 者 の 声

牛  鬼  蛇  神

大森 勇(福島県獣医師会)
 この会報の読者は獣医師会会員または関連する人々に閲覧されるものとの前提で起稿した.獣医師はその職業上で使用する用語も特殊なものが多く,国家試験でも必ず登場するおなじみの言語,用語も多数ある.しかしここで専門的な用語を羅列解説することは今回の起稿の意図ではない.
 日本人であるわれわれ(獣医師会会員の100%ではない時代になりつつあるが)は幼少から英語,ドイツ語等に慣れ親しんできている.
 筆者は特に漢文字について以前から興趣を覚えていたものであるが,最近の文字の簡略化や当て字などで漢字文化が破壊されつつあることに強く不満を覚えている.
 2001年3月にタリバンのバーミューンで仏像破壊があったように徐々であっても漢字が破壊されてゆく現状は見るに忍びないものがある.
 とはいえ一介の好事家がこの文化を守るなどという大それた試みを抱くことも不遜であるといえよう が…….
 獣医師会雑誌にちなみ「医」「獣」「畜」「馬」「牛」「豚」「犬」「猫」等に関わる文字を解説したいと思いペンをとったが,全漢字を網羅すると優に数冊の本になる可能性もあり今回は断念せざるをえない.
 四字熟語は馴染みが深く今回は「病」「獣」「畜」「医」に関するものを挙げ,次に動物に関する熟語を披露し解説してみたいと思う.

 「上医医国」(じょういいこく) 優れた医師は個人の病気を治すにとどまらず国の戦乱や風紀の乱れをも医(いや)すものであるという意.優れた政治家の心得,「上医」とはすぐれた医者のことで有能な政治家のたとえでもある.

 「四百四病」(しひゃくしびょう) 人のかかる病気のすべて,人体は地,水,火,風の四つの元素「四大(しだい)」から構成されていて,これが不調の時それぞれ百一の病気を生ずるとされている……仏教用語.

 「膏肓之疾」(こうこうのしつ) 不治の病,難病のこと.「膏」は心臓の下,「肓」は横隔膜の上の隠れたところ,身体の深い部分でこの間に病気が入るときわめて治療し難いことから.「疾」はやまいとよむ.

 「病入膏肓」(びょうにゅうこうこう) 上記と同様に用いるが,他に「あることに熱中し没頭してやめられないほどの状態」になることをもいう.
 「故事」中国春秋時代,病が重くなった「晋」の景公の夢に二人の童子の姿となった病魔が現れ,名医の来ることを知って名医も治療できない膏の下,肓の上に隠れたという.

 「医鬱排悶」(いうつはいもん) 気晴らしをすること.憂さをはらして気分を爽快にすること.「医鬱」は鬱屈を晴らす意.「排悶」は気晴らし,同義の言葉を重ねて意味を強めたもの.

 「医食同源」(いしょくどうげん) 病気を治す薬と食事は,本来根源を同じくするものであるということ.食事に注意をすることが病気を予防する最善策,日ごろの食生活も医療に通じるということ.

【獣  の  部】

「豕交獣畜」
(しこうじゅうちく) 人を獣並みにあつかうこと.「豕」は豚の意,豚並にあしらうこと.「獣畜」とは獣とみなして養うことをいう.「畜」は養うの意.

「獣聚鳥散」(じゅうしゅうちょうさん) 秩序や統率のない集まりのたとえ,獣のように集まり鳥のように散り去る意.
 類義語「烏合の衆」(うごうのしゅう).

「獣蹄鳥跡」(じゅうていちょうせき) 世が乱れて獣や鳥が横行すること,蹄,跡はともに足跡の意である.

「人面獣心」(じんめんじゅうしん) 冷酷で恩義や人間性をわきまえず恥などを知らない人のこと.顔は人間であるが心は獣類に等しい人の意.
 類義語「虎吻鴟目」(こふんしもく),「人面畜鳴」(じんめんちくめい).
 対義語「鬼面仏心」(きめんぶっしん).
  心を身と書く「人面獣身」は顔が人間,体が獣である怪物,妖怪の類をいいスフィンクスがこれに相当する.

「亀甲獣骨」(きっこうじゅうこつ) 亀の甲羅と獣の骨などを中国古代には占いに用いその結果などを文字に刻んだ.これが最古の甲骨文字.亀甲は「きこう」とも読む.

「仰事俯畜」(ぎょうじふちく) 一家を養い生計を成り立たせることの形容.「仰事」は親に仕えること,「俯畜」は妻子を養うこと.「仰いで事につかえ俯してやしなう」と訓読.「仰俯」は上から下までの意.「仰事俯育」(ぎょうじふいく)ともいう .

「禽獣夷狄」(きんじゅういてき) 中国周辺にいる異民族を卑しんでいう語.
 類義語「夷蛮戎狄」(いばんじゅうてき),「東夷西戎」(とういせいじゅう),「南蛮北狄」(なんばんほくてき).
 「騎獣之勢」は「騎虎之勢」の類義語として「虎」の部に掲載する.

以降は,随時,「牛鬼蛇神」として掲載します.


蕨市・戸田市学校獣医師制度について

小林圀仁(埼玉県獣医師会)

 埼玉県蕨市,戸田市は隣接した市であり両市に開業する獣医師により埼玉県獣医師会南第一支部戸田蕨班を構成する.獣医師会戸田蕨班の獣医師の同意を得たうえ,学校飼育動物担当者として平成11年1月25日,蕨市長に“学校飼育動物問題について話し合いの場を得たい”という内容の書簡を送った.数日後,蕨市長より平成11年度の重要施策の一つとして取りあげたいとの返事をいただいた.
 その後教育長と話し合い,学校獣医師制度の内容として,
少なくとも年一回は学校訪問し教職員,児童と交流すること.
児童,教職員の相談に対応すること.
学校飼育動物を治療すること.
  この三点を基調として発足させ順次発展的に内容を充実させることを申し合わせた.
 以上,申し合わせた後市議会に諮り,平成11年4月より蕨市学校獣医師制度が成立された.
 次に,隣接する戸田市長に蕨市と同様の学校獣医師制度の制定をお願いし,歩調を合わせる形で平成12年4月より戸田市においても学校獣医師制度を発足させた.

 学校獣医師問題は“何故今なのか”.
 わが国の教育改革は明治維新による藩校,寺子屋から学校教育へと改革された“明治の改革”,昭和25年の“昭和の改革”,そして現在の“平成の改革”と大きな節目を迎えているのが“今”なのです.
 平成の教育改革の主眼に据えられていることは,
“幼児期からの心の教育の充実”
“家庭におけるしつけの充実”
“地域社会の力の活用”
  “学校は心を育てる場に”
であるとお聞きいたしました.
 平成の教育改革は物質文明のもたらした変化に対応し精神の健全育成に努めようとのことと思います.この心の教育は家庭教育の問題のように思いますが,現実には学校教育に依らねばならないのでありましょうか.
 心の機微に触れる教育にはいろいろな方法があると思いますが,学校飼育動物は実体験の形で役に立つと堅く信じております.児童達にとって動物の世話は決して楽なことではありません,母親と同じように休みもありません,病気怪我の動物の世話もしなければなりません,新しい生命の誕生にも遭うことができますが悲しい死も受け入れなければなりません.
 動物には周囲の人の心を和ませ,仲良くさせる力が有るといわれております.
 臨床に携わる獣医師は常に動物の持つパワーを感じております.小動物であれ大動物であれ,動物たちがどれ程人の役に立っているか,動物たちも人と同じような心を持っていることを知っております.子供達の心と動物達の心の交流が得られれば,物言わぬ動物を介して子供達は多くの体験を得,その体験から大事なものを獲得することでしょう.
 今まで学校飼育動物に関して多くの獣医師がそれぞれ活動しておりますが,獣医師の利益を求めて行動しているわけではなく,なおざりにされている動物に接し獣医師のほとんどは“動物が可愛そうだ,動物を心配する子供達が可愛そうだ何とかしてあげなければ!”という感覚で行動しております.一方,教育行政の中でなぜ放置されているのか国,県,市町村の学校飼育動物への対応機構が何もないことに対して行動されている獣医師もおります.文部省の係官も今まで陰に隠れた獣医師の協力に気づかなかったことを反省されて居られたとのことです.
 学校獣医師制度は臨床獣医師が大きく社会貢献できる場で,獣医師の社会的立場を強化し獣医界の発展にも大きく寄与する制度であります.
 私たち獣医師は総力を挙げて児童たちの科学する力,生命の尊厳,思いやり,優しい心を育む教育のお手伝いをいたしましょう.行政,教育者,獣医師の全関係者に対して多くの課題が与えられることと思われますが,研究検討を重ねて行けば充実した学校獣医師制度を創造できるものと信じます.
 獣医師の皆様,私たちの英知を結集し学校獣医師制度を実りあるものにいたしましょう.