地方会だより

『相馬野馬追祭』を陰で支える獣医師

青木 基(福島県獣医師会相双支部)

 ある夏の日,未だ明けやらぬ午前4時,朝靄立ち込めるここ原町市牛来の雲雀ケ原祭場地内の馬場では,勇ましいかけ声とともに数頭の馬が駆けて行く.この様子を,目を凝らしてじっと看視している人がいる.
 誰あろうこの人こそ原町市の名物獣医師・鹿山 忠にして,治療した馬の仕上がりを診ているのである.
  福島県相馬地方では,毎年7月23日から3日間,東北の夏祭りのトップをきって,原町市を中心に『相馬野馬追祭』が開催される.一千有余年の歴史を誇る国指定重要無形文化財のこの祭りは,23日の出陣式に始まり,武者たちは相馬藩総大将を筆頭に各「郷」から一斉に雲雀ケ原祭場地に集結,本祭りの24日は五百数十騎にのぼる“上武者行列”,そして陣羽織,旗指物に身を固めた騎馬武者による十頭立て10レースの“甲胄ちゅう競馬”,クライマックスは花火とともに空高く打ち上げられた「御神旗」を馬上から奪い合う“神旗争奪戦”,いずれのイベントもまさに戦国絵巻さながらのド迫力である.最終日の25日は,裸馬を素手で取り押さえ,小高神社に奉納する“野馬懸”で相馬野馬追祭の全日程を締めくくる.
 この祭りに備えて毎年5月ごろから連日,出場する馬の「練馬」と称した猛訓練が行われるのであるが,本祭りの頃は折しも梅雨明けから猛暑のさなか,当然,事故・故障馬の続発が懸念され,人馬の無事を祈らずにはいられない.先生は,日常の家畜診療の傍ら,「練馬」から本祭りの期間中は,相馬野馬追執行委員会の要請により出場馬の診療を一手に引き受けるなど,この祭りを陰から支えている名物獣医師である.
 ここで鹿山先生のプロフィールを紹介しておこう.先生は大正12年原町市に生まれ,昭和19年に東京高等獣医学校を卒業した後,原町市内にて開業,その後,陸軍東部第33部隊に入隊,昭和20年に復員して現在地で鹿山動物病院を開設,現在に至っている.この間,県獣医師会相双支部長,県獣医師会副会長などを歴任,現在は県家畜人工授精師協会連合会長の要職にある.
 一方,私財を投じて畜犬碑や畜魂碑を建立寄贈するなど,先生の地域産業振興文化発展に対する功績は顕著で,原町市産業文化功労者表彰,相馬野馬追振興功労者表彰,日本家畜人工授精師協会長表彰,県畜産功労者知事表彰など数多くの栄誉に浴している.
 これらのことが物語るように,先生は温厚篤実にして質実剛健,78歳の齢を微塵も感じさせないバイタリティーあふれる若さで,愛車グロリアを駆って東奔西走,過般9月にはテレヒ朝日系列の全国ネット“テレメンタリー2001”「祭りを陰から支える男」として放映されたことは記憶に新しい.
 御家族は長男が同市内で小動物診療施設を開業,孫が獣医科大学在学中と三代続く獣医師一家である.ただ,残念なことに最愛の奥様を十数年前,若くして亡くされたことは返すがえすも憂愁の極みである.
 趣味も多趣多彩で交友関係も幅広く,現在は蝶ネクタイで紳士然としてステップも軽く,社交ダンスにいそしんでいる.また,鯉釣りは“釣り師”の腕前で,近隣の“有名人”である.
 このように先生は,仕事はもちろん,探究心が大変旺盛で,特にこのたびの国内での牛海綿状脳症発生については,わが国の畜産振興面での悪影響を人一倍危惧しており,早期の原因究明と今後の防疫対策の万全を念願しているとのことである.
 先生には,いつまでも健康に御留意され今後益々の御活躍を願っている.