珍宝論争というのがある.これは正確に発音しなければいけない.私ごときは,正確に発音してもたいてい相手にニヤニヤされる.間違ってはいけない.そういう俗っぽい話ではないのだ.
最近新説が発表されて,やや従来の定説がゆらいではいるが,わが国初めてのお金は,今からおよそ1300年前の和銅元年(708年)に作られた「和銅開珎」ということになっていた.この「和銅開珎」の読み方に「わどうかいほう」と「わどうかいちん」の2種類があり,江戸時代から多くの研究者によって白熱した議論が繰り返されてきたのだ.これが「珍宝論争」である.そしてこの論争はいまだに決着がついていないという.たかが漢字一個の読み方ぐらいどうでもいいではないかなんていうことなかれ.当事者にとっては非常に重大な事柄なのである.それぞれの言い分論拠を紹介していてはきりがないので,ここでは省略する.興味をお持ちの方は,しかるべき文献を検索されたい.
十数年前,私はある雑誌に「Embryoは受精卵でよいか」という一文を載せた.ETを受精卵移植と訳す文章があふれていたからだ.学会や研究会でも受精卵で発表する専門家がいた.どだい法律がそういう表現を使ってしまったからどうしようもなかったのであるが,卵と胚ではものが違う.細胞1個の状態をまさか胚とはいわないが,複数個に分裂発育したものは立派な胚であり,卵ではない.したがって今ではほとんどの専門家は胚移植という言葉を使っている.卵胚論争に一応けりがついたようにもみえるが,それでもなおわれわれの周囲には受精卵移植で通
す方がいらっしゃる.この論争にまだけりはついていないのかもしれない.それとも受精卵移植とおっしゃる方は,分裂以前の細胞1個の状態での卵移植を敢行しておられるのだろうか? 学問的ではないが,ごみ収集での「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の区別
も難しい.自治体によって多少の違いはあるが,一部合成樹脂は燃えるはずなのに燃えないごみに指定されている.これなどは燃やしてはいけないごみと表現してくれれば少しはわかりやすくなると思うのだが.
ところで,「和銅開珎」が出された和銅の年号は,たまたま武蔵国秩父で大量 の銅(和銅)が発見されたことにちなんでつけられたというが,このこととともに当時の元明天皇が女帝であったこともついでに記憶に残しておきたい.
(子)
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