以前,ある宗教家が,インチキ足裏占いをやって荒稼ぎをしたことがマスコミの話題になった.程々にやればよかったものを,儲けすぎたのがいけなかったようだ.その後この宗教集団は裁判で破産宣告を受けているが,そもそもがインチキであったのではしようがない.占いにも手相,顔相,姓名判断等いろいろあるが,足裏とは面 白いところに目を付けたものだ.少しでも当たれば溺れるものは藁でもつかむで,それはそれで世の役に立ったであろう.しかし,前もって若干の情報を仕入れておいて,それで宣託を下し,かつ癌だの業病だのと脅しをかけてお布施を巻き上げるなどは許されてよい行為ではない.天の声とは聞いてあきれる.
 足裏相と運命とどれほど相関があるかは知らないが,排泄物(ウンチ)と排泄者の健康とはかなりの相関があるはずである.排泄物をみることにより,その人の現在および将来の指針を授けることができる場合も有り得よう.足裏でなく,ウンコ占いでもやってた方がよほど良心的であったかもしれない.ウンチの形態,色調,太さなどは,健康状態だけでなく,精神状態をも推測できると聞く.ストレスが長く続き胃腸に潰瘍ができていると,出血で便が黒ずんでるはずである.さらにわれわれの領域でもそうであるが,顕微鏡で覗けば,寄生虫に悩まされているかどうかの判断もつく.場合によっては何を摂取したか推測することも不可能ではない.考古学者が,化石化した排泄物(糞石)を貴重がるのもうなずける.今多くの家庭でトイレは水洗となり,自分の排泄物をゆっくり観察する間などなくアッという間に流されてしまう.ここは一つ自分の健康のためにも毎日じっくり観察する習慣をつけてはどうだろう.
  ところで,動物の排泄後の行動も面白い.きれい好きの猫はわざわざ外へ出て用を足し,しかもご丁寧にも便の上に土を被せこれを隠す習性がある.もっともこれはきれい好きであるからでなく,天敵から身を隠すためのものであるらしい.その点犬は結構だらしない.自分の排泄物をクンクン嗅いでから,「ウン,これは確かに俺が出した物だ,後はご主人適当に始末してくれ.」とあたかもご主人に拾わせるためにしてるような顔すらする.拾ってやらなくても平気で排便するから,犬が多いパリの街は犬の糞がやたら多い.市の悩みの種である.
  便所の歴史については前号で少々書いたが,清潔さと快適さの点で行き着くところはやはり水洗であろう.これも初心に返れであろうか.わが国でも古くは厠(かわや)といい,川の上の施設すなわち川屋で一種の水洗であった.そういえばポンペイの遺跡も腰掛け式の水洗であった.これはすごいと思った.
  今や便所は「不浄」や「はばかる」場ではなくなっている.さて近い将来の宇宙ではどうなるか.(子)