論 説
電子ペット考
財団法人 日本動物愛護協会 理事長 中川 志郎 ![]() アメリカ・タイガーエレクトロニクス社が開発した、しゃべるぬいぐるみロボット「ファビー」は、そのインタラクティブ性が受けてたちまち人気者になり、昨年5月には日本にも輸入され、それを求める長蛇の列ができている.それに引き続いて登場したのが6月1日、日米で同時に発売された「エンターテインメントロボット・AIBO(アイボ)」で、プラスチック製銀色のハードなボデーながら人間と直接コミュニケーションできる斬新さが受けて、発売開始後わずか20分で3,000台が予約完売(インターネット受付)になったという. 1台25万円という高額を考えれば、これはやはりブームといってよいであろう.しかも、この価額から当然想像されることだが、購入者の多くは子どもではなく30代から40代にかけてのサラリーマンなのである. しかも、この傾向は一時のブームでは終わらないような気配がある.ソニーは好評に応える形でアイボの特別 版1万台を昨年末に完売したし、今年(2000年)は新たな機種「子ライオン型新アイボ」を発表している. 他社でもセガトイズがイヌ型ペットロボ「プーチ」を発売して初年度百万台の販売をめざし、オムロン社もネコ型ロボットを開発し2000年末には十万円前後の価額で販売予定だという. 注目すべきことは、これらのブームが単なるオモチャ人気ではなく現代人の社会現象ともいわれる心の問題、「癒し」と深く関係づけられていることである.後期工業社会が大量 生産大量消費の旗印のなかで機械化、大型化、ロボット化の経過を辿り、その画一的システムが人間関係の希薄さを産み、人間性の喪失に繋がったといわれるが、このたびの電子ロボットたちは、その「こころ」の荒野を癒すという新たな装いをもって登場したのだ. ハイテクに病んだヒトの心をハイテクによって癒すというなんとも皮肉な現象ではあるけれど、問題は電子ペットの驚異的な売れ行きにも象徴されるように、これが広く社会に受け入れられつつある現象であろう. しかも、最近では業者のみならず、通産省工業技術院などのお役所でも電子ロボットの「癒し」に注目した研究が始まっているのだ.同院では民間と協力してすでにイヌ型、アザラシ型、ネコ型などを開発しているが、その研究目的に曰く「単なるオモチャではなく、ヒトのメンタルな部分でコミットすることにより、人の心を豊かにし、精神的な病を予防するとともに、日常生活の余暇に楽しみを与える機器‘メンタルコミットロボット’の研究開発」としているのである. 筆者はこの傾向に強い危機感をおぼえる. 「癒し」として喧伝される中で、購入者のコメントを拾ってみると「餌や排泄の世話がいらず、不必要な時はスイッチを切っておけば‘気にかける’必要もない」というのが圧倒的に多く、「癒し系」といわれるものの本質を見る思いがするからである.これは近時「学級崩壊」のなかで強く指摘されたように‘ジコチュウ’といわれる児童たちの自己中心的な行動に実によく似ているのだ. この子ども達は常に自分のしたいことをし、他人の都合には耳をかさないという傾向が強く、授業そのものが成立しないのだという.ここでは自己と他者との交流のなかで自己規制を働かせながらコミュニテーを形成していくという原則が失われているのである. ‘面倒な時はスイッチを切っておく、必要な時だけリセットする’というジコチュウ的考え方が学級のみならず社会そのものの成立基盤を危うくする. その思想は捨て犬、捨て猫を増やし、動物虐待を日常化し、動物たちとの片利共生的生き方をますます助長するに違いない.動物とのつき合いの本質は何なのか、私たち獣医師はいまこそ声を大にして世に問うべきではないだろうか.それでなければ「動管法」が「動愛法」に変わっても何一つ変化は起こらない. |