モンゴルの国情
モンゴルは,旧ソビエト支配時代の長い間,社会主義国であった.89年末から民主化運動が起こり,90年に初めての複数政党による自由選挙が行われた.92年には新憲法が制定されモンゴル人民共和国からモンゴル国になり,民主化になってまだ日の浅い国である.長い間モンゴルの歴史,文字等の文化が否定されており,この10年間でジンギスカンやモンゴル文字が復活している.しかし,私たちがモンゴルに着いた翌日に国民選挙があり,与,野党が逆転し旧共産党系(人民革命党)が85%を確保し,
大勝利とのニ−スが流れていた.
面積は,日本の約4倍で北西部は高い山地で多くの内陸湖や川があり,東南部の大部分は,樹木もない砂礫性の土地が見渡す限り広がっている.その広大な国土に人口は全国で約300万人.馬(10%),牛(12%),羊(45%),山羊(32%),駱駝(1%)などの家畜が放牧され,この10年で2,585万頭から3,300万頭に増加した.遊牧民は就業人口の約40%であり,不況等で増加している.
犬は,体重20〜30kgの黒や茶色の大型犬で,ゲルで生活をする遊牧民にとって,草原に散らばった羊,山羊,牛などを集める牧用犬や番犬,そして遊び相手として古くから飼育され,ほとんど自由な生活をしており,温和な性格であるが群れの中にはしっかりした順位があり上位の犬から食事をとっていた.
モンゴルの教育事情
教育制度は,初等・中等教育が義務教育で10年制である.高等教育は専門学校や大学,短期大学,カレッジなどがある.モンゴル農業大学は1942年に創立し,1958年に現在地に移転する.6学部,30研究施設を持ち,教員は250〜260名,学生は3,000人である.獣医科は約60年の歴史があり,大学の基幹学科で教職員は40名で5教室である.卒業生は3,000人で,500人が現役として働いている.全国350か所に診療所があり,5種の家畜の診断と予防を行っている.社会主義時代に比べ獣医師は3分の1に減少し,予防注射も有料化され,家畜の健康管理は悪化し,貧富の差が拡大している.現在は豚や鶏の飼育も少し行われている.獣医教育は5年間で,モンゴル農業大学の獣医学部1校であり,1学年100名の定員でロシア式の獣医学を学んでいる.欧米,日本と同じで男女は約半々である.遊牧民たちの子供など,経済的理由から途中で脱落する学生がかなり多く,卒業時には50名から60名に減少するとのことである.畜産が基幹産業と思っていたので,獣医師の社会的地位は高いと考えていたが,社会主義時代で中の上,現在は中の下に低下したといわれていた.
小動物臨床事情
首都ウランバートル(人口60万人)は,最近流入人口が増加し,貧富の差が大きくなっているので,犬や猫をペットとして飼育する人が増えつつあり,モンゴル農業大学に全国で唯一の小動物の診療施設が5年前に開設された.
しかし,診療施設が開設されたといっても,5坪くらいの部屋に診察台と事務机などがある簡単なもので,麻酔器,X線設備はなく,検査器具,手術器具などすべてが不備のままである.診療についてはまだ手探り状況のようである.日本人が30〜40年前,アメリカから臨床を学び始めた以前の状況に似ているか.
準備に大騒動
モンゴル獣医師会からの要請内容は,日本の獣医事情,骨折の手術,眼科,歯科などの講義および実際の技術指導であった.何度かモンゴル農業大学のDr. Orgie外科教授とFAX等でやり取りを行ったので,希望内容が解り,それは獣医学的に難しい内容であったが,われわれは臨床医の立場で対応を考えた.
早速,南多摩獣医師会は技術指導に向けて準備に取りかかったが,大きな壁が次から次へと私たちの前を遮るのである.
モンゴルで手術をするにも吸入麻酔器がない,手術器具がない,薬がない,すべてないない尽くしである.そこで会員から器具,資金の支援を得るも絶対的に足りず,やむなく医療器具,薬品メーカー10数社からの支援を得て,手術にかかる機材や薬品が何とか整えられ,ダンボール箱7個になった.ホッとしたのも束の間,恵まれた日本では考えられない出来事がまた起こるのである.次の問題は,われわれが持参する講義用のVHSテープがモンゴルではビデオデッキの録画記録方式が異なるため使えない事に気が付く,スライド用プロジェクターは?などなど…….これも現地との連絡で何とか解決し,いよいよ7月1日,羽田空港から関西空港経由でモンゴル・ウランバートル空港に向けて出発することになるが,出発時,持ち込み荷物の重量オーバーでまたトラブルが発生する.航空会社との交渉で参加者の平均重量で何とかクリアした.また,モンゴル入国に際しても荷物量が多いため,税関で一時足止めされる始末である.
講習会,外科実習とモンゴル獣医師との交流
7月3日夜,モンゴルの外科と内科の教授と最後の打ち合わせをした. 7月4日午前中,市の中心部から車で15分,戦勝記念公園の手前にあるモンゴル農業大学で,副学長より学校の説明を受けた後,学内を見学した.午後より講義が行われた.始めにスライドを使用した日本の獣医事情(小動物臨床を中心に)を40分,眼科について50分,歯科についてビデオテープで40分の講義を行った.受講者は26名,ほとんどが大学の先生たちで,一部大動物開業で小動物に興味のある先生も加わっており,熱心にメモを執る姿が非常に印象的だった.引き続き,日本の獣医師8名,モンゴルの獣医師7名が手術室に移動し,池田主刃,佐々木助手,熊井器具,須田外回り,高良和恵獣医師(北海道)術後,原 由典獣医師(愛知)記録で,犬の大腿骨骨折のピンニング法と宮川の歯の治療,佐々木の目の検査などの実技を行った.
手術器具類は,日本ですべて滅菌して持参したので,消毒から術式はいつもと同じであるが,麻酔は20〜30年前に日本でよく行われていたネンブタールの静脈内麻酔で,同行した日本の若い先生は日本と異なる不備な手術室での手術に戸惑いを感じていたようである.留置針で点滴と万一のため気管チューブ(人工呼吸器はないが)は挿入しておいた.
講義,実習とも日本の小動物の診療にかなりの興味を持ったようで,数多くの質問があり,特に小動物病院の設備,機材類に興味があり,いくらくらいでできるかを聞いていた.
実習終了後,内科の主任教授が,私どもに猫と犬の2匹の診察を依頼してきた.猫は腰麻痺を伴なう脊髄損傷で,大学では針による治療を行っていた.X線検査はできないとか.犬はチック,目やに,鼻水,食欲不振の臨床症状を発現した典型的なジステンパーであった.時間内での限られて講義,手術のためゆっくり説明や解説する間はなかった.
今回,日本から持参した手術器具類,薬品類,衛生材料などはすべてモンゴル農業大学に寄贈してきた.
技術指導を終えて
モンゴルの獣医師は今までに何人も日本の大学で学んでいるが,ほとんどが基礎系や産業動物系の先生である.
今回の小動物の技術指導は,モンゴルでは私ども南多摩獣医師会が初めてのケースらしく,モンゴルより進んだ日本の小動物獣医学技術の導入を希望していた.また,英語のできる人がかなりいるので,今後,急速にアメリカの獣医学が導入され発展する可能性もある.
帰国時,モンゴル農業大学の外科部長と,3名の若手の女性獣医師(小動物志望)と,モンゴル獣医師会長の丁重なお見送りと記念品をいただき,両国の獣医師との堅い絆ができた技術指導であった.今もDr. Origie教授とはE.
mailやFAXで英語でやり取りをしている.今年は雨が少なく草が伸びず,ナーダムの競馬は短距離にしたり,中止したとのこと.
最後になったが,このたびの獣医技術指導実施にあたり,沢山の医療器具,薬品などの援助品をご提供いただいたフジヒラサビックス,川崎生物化学研究所,東京ゼンヤク,バイエル,大日本製薬,瑞穂医科工業,イソップ薬品,明治製菓,アローメディカル,共立商会,キリカン洋行の各社と旅行に関して終始お世話になった日洋航空の金沢社長に心よりお礼申し上げる.
今回のモンゴルの旅行の計画は昨年フランス・リヨンの世界獣医師学大会に南多摩支部として参加した,日洋航空に今モンゴル獣医師会長の娘さんが働いているとのことを聞き,次は草原と大空の国モンゴルに行こうということで実現したものである.
当支部はこの20数年前,日本で初めての支部旅行としてアメリカの西海岸に行き,動物病院を見学し,カルチャーショックを受け,アメリカに負けじと獣医学を学び実践した.その後パーツ,モントリオール,横浜,リヨンの世界獣医師大会に参加した.アメリカの西海岸に行った7名中5名が今回も参加した.
今後,日本とモンゴルの獣医師との交流が定期的にされることをモンゴル側は希望しているので,南多摩獣医師会を第一歩とし,第二歩を近いうちに全国の小動物臨床医の先生方のご理解とご協力でお願いする.
付 記:
今年の冬,モンゴルで大寒波のため200万頭の家畜が死亡したというニュースが日本国内で報道されたのも記憶に新しいことと思う. 私たちが,在モンゴル中,新潟県獣医師会よりモンゴル獣医師会長宛てに義援金が届けられていた.
モンゴル獣医師会長自らが,その援助金の一部で,最高級カシミヤ生産用の種ヤギを買い求め,一番被害の大きかったウランバートルから500kmの所にあるドントゴビ県の14軒の遊牧民に届けたと話していた.残金については,学生の奨学金として使用されるとのことで,援助金が有効に使用されているようである.
なお,モンゴルの動植物や風景の美しい写真を南多摩獣医師会ホームページ http://www.din.or.jp/~vetunion/ に掲載しておりますので,ご参照ください. |