論     説

家畜のクローン技術と安全性の議論

家畜改良センター 企画調整室長 下 平 乙 夫

厚生省は,今年6月6日にクローン牛由来生産物の食品としての安全性に関する中間報告書をとりまとめ公表した.この報告書では,「新しい技術については多面 的な角度からのデータの集積が必要」であるが,現時点では,「受精卵クローン及び体細胞クローン牛生産では流産や死産の頻度は高いものの,新規に毒性物質や病原物質が生産される可能性を示す科学的知見は得られず,クローン牛由来生産物の食品として安全性を懸念する科学的根拠はない.」とまとめられている. 家畜のクローン由来の生産物を巡る食品としての安全性の議論は,昨年春にある雑誌にノンフィクションライターが書いた記事を契機に始まったといえる.この記事はクローン技術によって生産された牛由来牛肉が安全性が確認されないまま流通 していることは問題だと指摘したものであった.その後,一部マスコミでも,クローン牛肉の安全性に疑問を投げかけるような報道が行われ,その当時話題になっていた遺伝子組換え食品の表示問題と一緒に扱われてしまい,一般 消費者に「クローン技術」に対する間違ったイメージ,あるいは根拠のない不安を与えてしまったと考えられる. これに対して農水省では,マスコミや消費者団体等を対象としたクローン技術の説明会を開催するとともに,クローン技術の情報公開のあり方や「受精卵クローン由来牛肉」の取り扱い等に関して外部有識者を交えた懇談会を開き検討を行った.その結果 ,受精卵クローン由来牛肉は食品としての安全性に問題はなく,販売については任意表示とすることが適当であるとの結論を得たが,消費者の要望等を考慮して,農水省は受精卵クローン牛肉の販売について,関係者の自主的な取り組みによる表示販売,促進を支援してきているところである. 一方,「体細胞クローン」由来の生産物については,その時点では市場流通するまでに至っていなかったことから,その食品としての安全性については厚生省の調査に結論を委ねられていたのである. 今回,厚生省が上記の報告書をまとめたことにより,一部の消費者が抱いていたクローン由来生産物の食品としての安全性に対する漠然とした不安は,これまで得られている知見からは科学的に根拠がないことが公式に認められたことになると考えられる.これを踏まえて,農水省では,受精卵クローン同様,体細胞クローン由来の生産物の取り扱いについての検討会を開催する等,社会的なコンセンサスの形成をめざした活動を開始する予定である. これまでのクローン牛肉の安全性に関する議論を振り返ってみると,「安全性に問題がある.」とされるものの,具体的にどのような物質が問題であるとか,あるいはそれがどの程度なのかという点については具体的な指摘が一切ないまま,風評のみが先行していたように思われる.今回の報告書は,このような風評は科学的には根拠がないことを指摘するものであった.しかし,この報告書の内容に関しては,昨年4月のクローン牛肉騒動の時とは異なり,マスコミはほとんど取り上げておらず,これで消費者のクローンに対するマイナスイメージが払拭されたとは到底思えない. クローン技術は,畜産分野では家畜の育種改良を抜本的に革新するすばらしい技術として期待されているが,この技術が実用技術として利用されるようになるためには,体細胞クローンを含めてクローン由来の生産物に対する消費者の正しい理解を得ることが不可欠である. 一部の消費者が抱くクローンに対する間違ったイメージをポジティブイメージに転換して貰うためには,この技術の重要性を理解する畜産技術者自身がもっと積極的に活動する必要があるのではないだろうか.すなわち,クローン技術は,[1]畜産分野では人工授精,受精卵移植の延長線上の技術と位 置づけられること,[2]遺伝子組換え技術とは異なり,遺伝子の改変,操作を行っていない技術であること,[3]何らかの理由により流産等が発生する可能性はあるが,このような現象は人工授精,受精卵移植等の人為的な生殖技術のみならず,自然界においても起きていること等を,マスコミや一般 消費者に対して機会あるごとに情報として発信し続けることが今後ますます重要になると考えられる.