上記の覚書をうけた形で農林省としても厚生省に積極的に協力することとなり,同年4月5日厚生・農林両事務次官名で各都道府県知事宛に狂犬病予防について撲滅対策要領を通達している.その内容は覚え書の趣旨に則り,(A)犬の移動制限,(B)予防注射および徘徊犬抑留の徹底,(C)呟傷犬の処置,(D)狂犬病予防液の供給,(E)広報の徹底などが主要項目となっている.
  その後もGHQのビーチウッド博士は種々の会合に進んで出席し,狂犬病の予防撲滅に関し強化推進を直言するなど厚生,農林両省の対応に不満を漏らし続けていたことを,同博士と特に接触する機会の多かった衛生課長から度々耳にしたものだった.当時衛生課長に長電話がある時は必ずといっていいくらいに相手はビーチウッド博士で「おどし」「すかし」時としては「哀願」する調子で苦情を訴えた上でより積極的に協力してくれるよう懇願するのが常であった.その頃のある日GHQから帰った衛生課長からの説明で,主管の厚生省の乳肉衛生課をさしおいて畜産局の衛生課がGHQからの要請であるにしろ狂犬病予防法の制定に協力する破目となった.衛生課長も再三拒否したがGHQの苦境を訴えられて根負けした形となったもののようで,無条件で原案作りをやってほしいというのが衛生課長と私への「たのみ」であった.GHQのビーチウッド博士には衛生課長からの依頻で法律案の原案作りに当ることを告げ,家畜防疫の一般原則や狂犬病の特性,サムズ准将からの覚書の趣旨等を尊重して作業に当るので細部や字句等は一任して欲しいと申し入れ快諾を得て作業に入った.
  私は横浜税関の家畜検疫場時代から新潟県庁および京都府庁時代,農林省畜産課・および応召問を通じ家畜伝染病のいろいろの防疫業務を経験しているが,この当時まで狂犬病防疫の責任者としては経験が皆無であった.わずかに経験したのは新潟県と京都府に勤務中狂犬病予防事務を担当した同僚を助けて狂犬病予防週間などの業務の一部を手がけただけであった.
  当時狂犬病は家畜伝染病予防法上の一つの伝染病として措置されていたため主管は厚生省であった.
  当然,人衛生を最重視する狂犬病の防疫事務と経済性をモットーとする一般家畜伝染病の防疫とは自ら取扱い方法や措置要領には差があって然るべきものとして原案作りに当った.
  加うるに狂犬病が流行中でもあり,またGHQの特別の要請もあったことをも考慮して短期間に仕上げうるよう原案作りを急ぎに急いだ.