【読者の声】

クマタカ営巣問題と市街地傷病野鳥ケアー

鷲塚貞長(名古屋市獣医師会)
  わが国の経済成長に始まった,都市周辺部への住宅地の急速にして大規模な拡大の継続は,牧歌的田園風景や自然林,そして自然のおりなす大地の起伏などを壊滅的に喪失させ,単調にして平坦,何のバランス感覚もない住宅群が所狭しと立ち並ぶ有り様は,いかに日本が人口密度の高い国とはいえ,その計画性と美的センスのなさは,かつては景観を愛し情緒を尊んだ民族であったのにと,嘆かわしさを通り越し,なんとももの悲しい思いがする.
  このような自然の摂理に反した変化は,その地域に棲息する野鳥達の生態にも避けることのできない悪しき影響を与えることは申すまでもないであろう.野鳥達はわずかに残存する,あるいは自然とは無関係なインテリアを主たる目的として植栽された樹木を生活の場とせざるを得ない.それを一見住宅地域にも野鳥が棲息し,わが国も欧米並の自然と共生する生活環境に近づいた,などと錯覚する人達が少なくないのは何とも困ったことである.また一方狩猟対象の野鳥にとっては,この不自然きわまりない環境が,銃禁止区の拡大により,自然の山野より安全地帯であることは,また皮肉なことである.
  ことの善悪はともかくとして,住宅地の野鳥が従来に比し,積年増加していることはまぎれもない事実である.
  近年ドバトを凌駕し,急速に身近な野鳥となったキジバト,そして以前より人の生活に最も近い距離にあったスズメなど,住宅地や都市公園を生活の場とする多くの種類の野鳥達の産卵期は,おおむね春に集中し,抱卵期間約2週間,孵化後巣立ちに要する日数は2〜4週間程度である.
  6月頃より初夏にかけ急増する都市開業の獣医師が当面する難問,それは巣落ちした雛鳥達が病院に持ち込まれることである.そしてその多くは学童や通りすがりの人達である.側溝や道端にうずくまっている雛鳥を見過ごすわけにいかず,さりとて保護をしてくれるところも思いつかないこれらの人々は,とりあえず獣医科に持ち込む.健康体での単なる巣落ちであれば,かならずしも保護しなくとも親鳥のもとにもどる可能牲もあるが,持ち込まれるケースの大半は,何らかの疾病を持っていたり外傷を受けている.当然治療と1日数回以上の強制給餌など,きめ細かい介護や放鳥までの飛立ちトレーニングなどが必要となり,「その費用はどうするのか亅という問題が持ち上がる.
  持ち込む人達の感覚も実にさまざまで,費用のことなど初めから頭にない子供達,とりあえず救急をした,自分はよいことをしたので後はよろしくとさっさと帰ろうとする人,少し位の費用なら自分が負担しようという人,野鳥であるが保護した者の責任として全額負担するというまれな人.そしてその解決は実にケースバイケースであるが,結果として善意の保護者や獣医師に大きな負担がかかってしまうのが実情である.このような春より初夏にかけての巣落ち以外にも,傷病野生鳥獣のケアーに関する問題は1年を通じて多数発生している.
  国や自治体におけるこれらの問題に関する行政対応は,1県1か所程度の野鳥センター(生態観察を主目的としたものが多い)や動物園での仮対応,また一部獣医師会への微額の調査費(例 愛知県年額80万円)などと,とても行政対応といったレベルではない.
  今日クマタカやオオタカの営巣と公共事業との関連が大きな社会問題となっている.クマタカ等の営巣が地域環境の限界を示す重要な指標であり,それを越える環境破壊が絶対に許されないことは識者の常識である.理解に苦しむのは,こと利権にからめば,希少野生鳥獣の調査に数千万円を投じて(もっとも工事を正当化させるための調査かもしれないが),しかしながら身近な野生鳥獣の生息状況やケアーに関しては,ほとんど無関心.
  私は約30年前インドのニューデリーを訪れた時,約10億の人口を有しながら国家予算が東京都と同額程度のこの発展途上国において,規模内容の大変しっかりした傷病野鳥の救命センター病院が活発に機能していたことを思いだすにつけ,「日本は本当に先進国なのだろうか」と素朴な疑問をいだかずにはいられない.