論     説

私のアニマルセラピー論

東京大学農学部長 林  良博

 最近,私は「検証アニマルセラピー」という本を書き下ろした.講談社のブルーバックスとして刊行されているので,もし1〜2時間のお時間があれば,是非ともご笑読いただきたい.
  そこでは,いま話題になっているアニマルセラピーを,なるべく客観的に検証しようとしているので,私のアニマルセラピー論を控えめにしか述べていない.しかし,ゆっくり読んでいただくと,二つのことを私が言いたがっていることに気が付かれると思う.それは私が,決して「動物介在療法」とは言わないで,あくまで和製英語である「アニマルセラピー」という言葉を使うのはなぜか,ということと大いに関係がある.
  その理由の第一は,「療法」という医学用語を使用することを避けたい,と私は考えているからである.アニマルセラピーという人と動物の係わりは,確かに人の健康に貢献している.しかしそれは,狭義の医療をはるかに越えた広がりをもっている.具体的にいえば,障害者手帳をもっている人だけでなく,ごく「普通」の生活を送っている人の健康の維持・増進に必要な動物と人との係わりを,「アニマルセラピー」と定義したいと考えているのである.
  あえて対象を限定するならば,アニマルセラピーは弱者のために存在する.障害者(児),不登校児,出勤拒否者,高齢者,社会的弱者である女性,社会的強者ではあるが家庭内弱者である男性など,世の中に存在する「弱者」のためにアニマルセラピーは必要とされている.
  そんな広がりのあるアニマルセラピーを,従来の狭い医療の枠内に閉じ込めることは,私にとって認め難いことである.その枠内に閉じ込めたら,必ずや古くさい権威主義が蔓延ることであろう.専門家なる人々が偉そうに振る舞うだろう.それを想像しただけでも身の毛がよだつ.
  私が,動物介在療法ではなく,アニマルセラピーという言葉を使用する第二の理由は,もっと本質的である.動物「介在」療法という言葉がおかしい.原語のAnimal Assisted Therapy(AAT)という用語自身が間違っている,と私は考えている.
  動物は「モノ」ではない.したがって,動物は「道具」ではない.メスやピンセットのような道具として医療に使われる存在ではない,というドイツ人的な論理面からの反論も,確かに私の言いたいことの一つではある.
  しかし,もっと言いたいのは動物の主体的な「ちから」である.動物は介在物というような副次的な存在に留まらない.少なくともアニマルセラピーでは,医療を「施す側」と「受ける側」のあいだを円滑にするために,動物を介在させるのではない.それは己の限界を知らない人間の驕りである.
  アニマルセラピーとは,医療関係者と受手のあいだに動物が介在するのではなく,弱者と動物との直接的な係わりを医療または動物関係者が介助する行為をいう.動物は弱者を差別しない.その振る舞いには嘘がない.自分を愛らしいものとは考えていない.そんな動物たちに,弱者は心から気を許せるのである.これはどんなに優れた人間にもできない芸当である.
  もし動物以上の存在があるとすれば,それは子供であろう.高齢者にとって,子供はかけがえのない存在である.しかし,いくら効果があろうとも,私たちは決して子供介在療法とは言わない.なぜなら,子供は道具ではないからである.
  アニマルセラピーは,主として医療関係者の行為であると勘違いしている動物関係者がいる.それは間違いである.獣医師など動物に対する知識を有する関係者が,弱者に対する知識を有する医療・教育関係者と対等に協力してこそ,真のアニマルセラピーが日本で育つといえよう.