先日近所の子供に,宮城(きゅうじょう)へ行ってきた話をした.そしたら,どことどこが試合をやってたかと聞かれた.野球場と勘違いしている.無理もないことかと淋しくなった.
  これは聞いた話だが,これも子供に昔話しをしたと.昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいて,お爺さんは山へシバ刈りに,お婆さんは川へ洗濯に―という例の桃太郎の昔話を.途中で子供が聞いた.シバ刈りってゴルフ場の芝刈りでしょ.お婆さんの家には洗濯機がなかったんだねと.芝ではなく柴といって,タキギに使うのさ,タキギは薪という字で,竈(かまど)や囲炉裏(いろり)にくべて燃料にする.カマドってサンマを焼くやつと違うの? あれは七厘というんだよ.そうか,火鉢とも違うんだね.違うよ,火鉢には熾(おき)を入れて五徳を置いて,その上に鉄瓶を置いてお湯を沸かしたり暖をとるものなんだよ.
  こんな話を子供にしても面倒くさくなるし,そういう言葉や道具が忘れられていくと嘆かわしくなる.
  ところで,今の子供に理解できないものに,君が代がある.相撲の歌だと思っているのがいると.今の若者の8割が学校でその意味を習っていないともいわれている.
  いうまでもないことだが,古今和歌集のこの和歌は,長寿を祝い祈る贈答歌で,君は相手を指す語に過ぎないとされ,ある時期から軍国主義者や教育者によって曲解され悪用された結果,戦後の教育から外されて了った.もちろん歌そのものには罪はなかったのに.しかし,オリンピックで日の丸が揚がり君が代が流れると,年輩の人ならずとも日本人だと思うだろう.大人が以前の君が代に見方をもどして,もともとはそういう意味だと理解すれば,いつかは若い人も納得してくれるかもしれない.
  しかし,人それぞれだし,そうかといって今から新しい国家をといっても大変で,今度は古い人が納得できないかもしれない.
  ところで,今の中学生に一人前とは何か.一人前になる条件は何かと聞いてみたという話.彼らは,家の仕事が親と同じくらいできる,自分の働いた収入で生活できる,自分の健康管理ができる,結婚できる,車の免許がとれる,社会状勢を知る力がある,冷静な判断力がある,公衆道徳が守れる,挨拶ができる,英語が話せる,などをあげているという.これを見る限りでは,今の子供もしっかりしていると思う.実は大人だって,これらが全部できているか疑わしい.大人にも参考になる.(寅)