論 説
人と家畜の共生を目指した家畜衛生
農林水産省家畜衛生試験場長 柏 崎 守
![]() 写真の1枚は,6万年前の大昔にアフリカ大陸の洞窟に描かれた壁画の写しで,線画だがいろいろな動物が生き生きと描かれている.ブッシュマンは毎日猟にでかけ,動物を探し求めて野山を命がけで駆け巡っていたに違いない.それには“Long Before Recorded History, People Depended On Animals For Their Survival. They Still Do.”(人は有史以前から今もなお動物たちをよりどころに生活している)と印刷されてある. 壁画の動物たちは,畜産は本来の姿である人と動物のかかわり合いが原点であるはずなのに,現在の畜産はそのことを忘れて家畜を生産資材と見なしがちな最近の傾向に対して警告を与えているようだ.また,狩猟時代には動物は共有物であったに違いないが,家畜についても公共的性質を有することを認識すべきことも教えてくれている.畜産先進国では家畜が公共性を有しているとの認識はかなり浸透しているようだが,畜産の歴史の浅いわが国ではそうした理解は必ずしも十分に得られていない現状にある.衛生対策の効果的な実施には家畜の公共性という理解が不可欠であり,畜産の世界的グローバル化がますます進展する中,早急に意識改革をしなければなるまい.現在,豚コレラ撲滅事業が展開されているが,この事業の成否は技術的問題ではなく,むしろ家畜の公共性に対する意識改革ができるかどうかにかかっている. 他の1枚は,紀元前1450年の古代エジプト時代に牛の乳首から直接ミルクを飲む人の姿を描いた壁画の写真である.古代エジプト人は牛と共生し,牛に餌を与える代わりに牛からミルクをもらい健康維持に努めていたことがわかる.それには“The Close Relations Of People And Cattle Have Benefited Both Species For 10,000 Years. They Still Do.”(人と牛とは1万年も前から今もなお共生関係にある)とある. この壁画から教えられることは,畜産における家畜利用とは人と家畜の共生関係から出発しているはずなのに,現在は家畜から利益ばかりを得ようとする傾向が強すぎないかという疑問である.こうした人と家畜の歪(いびつ)な関係の家畜生産はいづれ破綻する可能性が高い.最近,家畜衛生の分野では英国での狂牛病騒動や台湾での口蹄疫発生,また国内では腸管出血性大腸菌O157やサルモネラ中毒の多発など一連の汚染事故に見舞われた.こうした汚染事故の背景には自然循環を忘れた経済追求型畜産があり,家畜との共生の重要性を改めて思い知らされた.家畜衛生技術は大いに発展し家畜の生産性を高めるのに役立っているが,安全性や危機管理といった問題にも真正面から取り組み,また21世紀に向けてリサイクル畜産の創生に努力しなければなるまい. ところで,ある団体が実施したアンケート調査によれば,国民の9割が農業問題に関心を持ち,7割が食料自給率の向上を望み,6割が輸入食品の安全性を心配しているという(日本農業新聞,98年12月5日付け).多くの国民は21世紀に向けた国内農業の発展に大きな期待をもち,国内産品に対する信頼と健康的な食生活の確立を願っているわけだ.家畜衛生サイドとしては家畜の健康維持を通して安全な畜産物の安定生産の責任を持つのは当然であり,食卓の安全を最優先する消費者からの声にも謙虚に耳を傾ける必要がある. 最近,立て続けに起こった英国の狂牛病騒動や香港のインフルエンザ騒動などの例をだすまでもなく,新興・再興疾病の汚染事故は発生国にとどまらず,周辺国までもパニックに巻き込む危険をはらんでいる.地球の片隅で起きた小さな汚染事故もたちまち国内にまで及び,騒動の度に国産ものまでが消費不振の原因となった.こうした疑念を払拭するには,疫学的視点から衛生状況を限りなく透明にしておくことが基本であり,衛生情報の開示は国際的責務の一つでもある.また,消費者が自らの判断で国産ものが選べるよう,情報は関係者ばかりでなく広く国民へ提供することはわが国畜産の健全な発展にとって不可欠である.情報公開は人と家畜が共生関係にあり,公共性を有していることからすれば当然なことである. |