近頃の世の中はどうなってるんだろう.景気は悪いし銀行は潰れそうだし,ミサイルは飛んできたというし.
  それにも増して困ったのが,ひ素カレー事件,毒入り飲料事件.せっかく少年殺人事件もほとぼりが冷めてきて平和になりそうだというのに,困った奴がいる.
  まして食べ物だけに,公的資金導入なんかより,身近な日常生活だからうかうかしていられない.そう思っていたら新聞記事が目についた.
  今から285年前の7月26日は8代将軍に吉宗の就任が決まった日で,ひ素入りカレー事件は1日前の7月25日,しかも両方とも和歌山に関係があり,毒殺事件だったという.和歌山の皆さんには大変失礼だけど,まぁ昔の話だと思って読んでください.
  6代将軍家宣は風邪がもとで死去するが,死期を悟って側近の新井白石を呼び,尾張藩主の徳川吉通を後継にしたいと伝えた.しかし白石は世継ぎの家継が跡目を継ぐのが筋だと主張.翌年4月わずか5歳の家継が7代将軍に就いた.正徳3年(1713)のこと.ところが,幼少とあって次の8代将軍の座をめぐり,尾張の吉通と紀伊藩主徳川吉宗との暗闘が繰り広げられたさなかの7月26日,吉通が夕食後突然吐血して死んでしまった.
  25歳で死んだ吉通の跡を継いだ3歳の五郎太も,その3か月後に急死する.ここで浮上するのが毒殺説.
  吉宗の母お紋の方は,近江の浅井家につながる医師の娘で毒物にも詳しかったという.当時ひ素は中国から他の毒物とともに室町後期からすでにわが国に入っていた.
  吉宗は4男で側室の子だが,宝永2年(1705)祖父・父・兄が5月・8月・9月と続けて死んでしまう.
  これから推測して,紀伊藩主吉宗を8代将軍にするための謀殺ではなかったかというのが,新聞の説.これには反論があって,和歌山の郷土史家は毒殺はあり得ないといっているとのこと.
  こうしてみると,食べものはこわい.今の時代は,ご飯でも赤飯でもチンすればでき上がり,スーパーに行けばおかずは何でも手に入り,どこへ行ってもジュースの自動販売機があって困らない.しかし,安全神話が崩れて毒入りのものを食べさせられたり,先年はO-157の逆襲があったりした.今は政治も経済も社会も信用できるものがなくなりつつある.食事もできるだけ手料理で安全なものにしたいのだが,素材が悪ければどうにもならない.毒物から身を守る危機管理のみが頼り.(寅)